『アルプススタンドのはしの方』
☆☆☆ 城定監督、いぶし銀の安打。
個人的にずっと応援してきた城定秀夫監督の新作となるこの一般作品は、青春映画の良作として、期待に違わぬ出来映えとなっていました。
夏の全国高校野球大会での応援席で繰り広げられる高校生たちの人間模様を描いているのですが、十代という時代をどう生きるかという点では、『ブレックファストクラブ』だったり、『桐島、部活やめるってよ』などに連なる視点を持っています。だだ城定作品らしくすべてのキャラクターをあたたかく見守りながら、それぞれを生き生きと表現することで見応えのある展開になっています。
と、城定作品でなければここで終わり。めでたしめでたし。
ですが、これはあの城定秀夫監督作品。みている立場も、やっぱり「しょうがない」ではダメな気がして、ちょっとここで終わりにしたくない(汗)。城定作品を贔屓にする映画ファンの心のモヤモヤとして以下は聞いてください。
本作が城定作品の最高傑作であるかと問われたら、私は「違う」と答えるでしょう。そしてそれは私だけではなく、今までの城定作品をご覧になっている方であれば、同様な答えになる人は少なからずいるような気がします。もちろん平塚球場が甲子園球場にどうやってもみえないとか、日本のサウンドデザインが海外作品とは圧倒的に質が違う(野球観戦をしている人であれば感じたと思いますが、このリアリティの無さは勿体なかったです)とか、作品の製作規模に関することは前向きな気持ちで「しょうがない」と諦めましょう(汗)。
やはり大きなポイントはメディアとしての演劇と映画のフォーマットの違いだったと思います。
ステージを映画にするのはなかなかの難題です。それはステージ中継と映画が別であるという点でもわかります。そして本作は結果的に過去の城定作品と比較すると、大きな魅力を2つ失っていたと考えます。ひとつは画で物語を語る点があまりにも欠けていることです。カットバックをせずにワンカットのグループショットにしたという点を「映画秘宝」のインタビューで語っていましたが、どうもその選択肢が効果的ではなかった気がしました。オープニングの演劇部員の安田の回想がとても効果的だった、という点でもわかります。もともと高校演劇の作品だった本作。私は演劇に興味もある人だったので、偶然にも私はもとになる舞台をEテレでのオンエアでみていましたが(筆者注:Eテレは全国高等学校演劇大会の模様を「青春舞台」として放送している)、ステージ版でも試合の様子は出てきません。しかし元のステージが巧いなと思ったのは場面転換ができない演劇の特性を逆手にとって観客の想像力が補うだけでなく、それが作り手のイメージ以上の物をイメージする相乗効果となっていること。つまり観客それぞれがイメージするのは試合だけでなく、登場人物と同じ「青春」という時間でもあったということです。つまりこの物語が演劇のためであったという何よりのポイントでした。その点で映画が選択したグループショットは彼らの関係性の表現としてはわかりやすかったけれど、それぞれのキャラに感情移入するための何かが足りなかった気がします。このあたりは大林宣彦作品の表現と比較するとすごく興味深い気がします。またそんな意味でも、もし一連の城定作品を支えた田宮健彦カメラマンが本作の撮影だったらどうなってたかな?という気持ちがあります。
もうひとつはセリフの力に頼ってしまったこと。もっとまなざしや表情、仕草など俳優たちの肉体で表現してよかったのではないかと思うのです。とくにクライマックスのセリフの応酬は登場人物たちの独白めいた部分が強くて、映画というフォーマットでは必要なかった気がしました。耳をつんざくようなブラスバンドの演奏と大きな声援という環境音の中で彼らが汗を流して「がんばれ!」と叫ぶだけで充分だった気がするのです。
そしてこうやって並べた演劇と映画の違いという点は、同じように成人向け作品と一般作品という表現の違いでもあったのかもしれません。それは製作規模の違いではない。今までの城定作品だって潤沢な予算や恵まれた環境ではなかったはずですが、例えば私の大好きな『僕だけの先生 ~らせんのゆがみ~』や『悲しき玩具 伸子先生の気まぐれ』で描かれた物語の方にも青春を感じてしまうのはなぜだろう?という問いなのです。今回、私が想起したのは原恵一監督のことでした。クレヨンしんちゃんの劇場版で傑作を手がけている原監督ですが、しんちゃんを外れてから手がけた作品には、それを上回ったという印象は私にはありません。製作時には制約となっていたしんちゃんというフォーマットが、結果的に原恵一監督の表現を輝かせていたのかも、という逆説的な結果です。(ちなみに柳下毅一郎ら一部批評家が一般的な評価よりも先回りして熱狂的に評価していた、という点でも城定監督と共通しています)
逆に言うと城定監督の過去の作品はとにかく官能的であり、エモーショナルでした。それはどこからきたのかと言えば、やはり画と登場人物で物語を伝えるにあったと思います。つまり映画として魅力的だった、ということです。本作も充分に楽しめる作品だと思いますが、城定作品の凄さはこの程度ではないぞ!とも言いたくなるのです。そう、多分私の最大の不満は、この物語は城定監督でなくても描けたものではなかったか、という点なのかも知れません。もちろん本作の魅力は城定監督の演出力が大きいことをわかった上で、あえて述べていますが。
ですから。本作は城定監督、いぶし銀の安打と呼びたいです。そして本作が城定秀夫という名前を知るきっかけになるのだとしたら本当に嬉しいです。でも本作だけで城定秀夫をジャッジしないで欲しいという気持ちもあります。もし城定作品を他にみたことがないという方は、ぜひいろいろとみてください。性的な表現が苦手な方もいらっしゃると思いますが、性を題材でとりあげるものでしか描けない物語もあり、映画として優れている点では太鼓判を押します。そして私のような城定作品ファンは、もちろんまた「次」も期待しましょう。
最後にプロデューサーの久保様。いつか書こうと思っていましたが城定作品ファンとしては、本当に心から感謝しています。今まで秘宝のインタビューやネットでの発言などでしか私は存じませんが、本作をみていて、間違いなくこの作品は久保Pあっての映画だと思いました。あなたが送りバントや犠牲フライだけでなく応援団もやっているから、作品が完成しているのでしょう。ひょっとするとこの中にいるキャラクターたちも城定作品の現場でもあるのかな? 久保Pは厚木先生みたいなのかな?なんて邪推したりしました(笑)。いずれにせよ、原恵一監督にも茂木仁史というプロデューサーがいらしたからこそで、城定監督には久保P、ここまでのフィルモグラフィが連なったのは城定監督は本当に幸せなんだと思いました。これからも素晴らしい作品を期待しています。
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