『小さな学校』
☆☆ 村上監督にとっての『スパルタカス』
村上監督作品では唯一未見だった本作。フィルモグラフィ上では2作目となる本作は、閉校が決まった在籍児童数6名という小規模な小学校を追いかけています。『流 ながれ』でも組んだ能勢広カメラマンとの共同作品。この後『無名碑 MONUMENT』となるわけですが、『無名碑 MONUMENT』からはご自身でカメラを回していらっしゃいます。以前「自分で回してみたくなった」というお話をされていたのですが、本作をみるとそれが理解できた気がしました。
この映画は記録映画として優れてる面はありますが、完成度という点では他の作品と比較すると、うーん…となるところがありました。何というか、学校生活の中で一番面白い部分を掴み損ねている気がするのです。長期取材によって生まれた『流 ながれ』で描かれた圧倒的な時間軸の圧縮と比較すると、いかにも淡泊な上に、核となる存在がはっきりしなかったために、「学校とは何か?」というもっとも観客が興味をもつ部分が描ききれていなかったのではないでしょうか。
『流 ながれ』もそうでしたが、本作も構図が実に端正です。わかりやすく正面を見据えて、奇をてらうことなく記録映画としてのセオリーをきちんと守っています。ところがこれは諸刃の剣で、映画的な興味でいくと変化が少ない分、全体の構成に起伏が少なかったり、先にこんなことが起きるのではないかと逆に予想しやすいという面があります(ちなみに『流 ながれ』はそれを長期撮影という別の強みがあることで、作品全体の時間軸を圧縮したことで見応えを生み出していました)。一方、村上監督自身が撮影された構図は、『東京干潟』のようにドキュメンタリーというよりは劇映画的な奥行きのあるフレーミングが多く、とてもドラマチックなのです。もちろん作為的になってしまうというデメリットはありますが、村上監督は自らと対象者の交流をもドキュメントにすることで、そこを逆手にとっています。本作での一輪車に乗っている子どもたちのシークエンスと、『東京干潟』でしじみのおじさんを自転車でずっと追跡するシークエンスとを比較すると、両者の資質の違いがくっきりと浮かんでくると思います。
ラストの校歌のシーンはよかったですね。あそこは村上監督らしいと思いました。それもふまえると。きっと村上監督は編集をされていて、子どもたちや先生に話しかけたくなったのではないかと、感じたのです。なぜなら学校とは、人が集まり人が交流することで生み出される空間であること、そしてそこにいる人たちの存在によって化学変化が生まれ、大きく姿を変える場所だからであるからです。つまりここでは、はっきりともっと人にクローズアップするべきでした。例えば校長先生(村上監督の王道でいくならば、これな気がします)、例えば担任の先生、もっといえば児童は1人でもよかったかもしれません。もし『東京干潟』のように、校長先生と監督がやりとりしていたら、異色の学校物になっていた気がします。
本作は村上監督にとっての『スパルタカス』(S・キューブリック)なのかもしれません。しかし村上監督のフィルモグラフィを俯瞰した場合、絶対に見逃せない作品です。ここでやりたかったことが『無名碑 MONUMENT』へとつながり、『無名碑 MONUMENT』での経験が、『東京干潟』『蟹の惑星』につながっています。機会があればぜひ。
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