NTL『エンジェルス・イン・アメリカ』
『エンジェルス・イン・アメリカ』の舞台版がナショナル・シアター・ライブで上映されました。第一部と第二部あわせて約8時間にもなるこの作品、まさか日本でみることができるとは! もうそのこと自体が"Great work!"なのかもしれません。
私がこの作品を知ったのは、本作の第一部がトニー賞を席捲した1993年、その受賞についてのニュースで、でした。何しろトニー賞だけではなく、のちにピューリッツァ賞までさらうのですから、どこまで凄い作品なのだろうと興味を持ちます。次にこの作品の題名を耳にしたのは、本作がTVミニシリーズとしてドラマ化されて、2004年のゴールデングローブ賞とエミー賞のほとんどをかっさらった時でした。何しろGGの方では最多タイとなる11部門受賞(28年ぶりの快挙)、エミー賞はミニシリーズが獲得できるものを完全制覇してしまったのです。つまり演劇、映像の最高峰の賞を本作一作で独占したことになります。しかも映像化に関わったその顔ぶれがすごい! 監督はマイク・ニコルズ、音楽はトーマス・ニューマン、出演はアル・パチーノ、メリル・ストリープ、エマ・トンプソン! (ちなみにアル・パチーノとメリル・ストリープという当代随一の名優が共演したのは本作のみ) そして2004年末に日本ではそのミニシリーズがWOWOWでオンエアされ、私はそこでみることができました。
感想は・・・難しかったです(汗)。実は最初はよくわからず途中でみるのをやめてしまいました。とにかくもの凄い情報量な上に、その当時の社会背景やアメリカ近現代史の出来事をわからないと理解できない部分が少なからずあったからです。そのあと(2年近くたって!)ひょんなことから再挑戦したのですが、一気にのめり込みました。当時の興奮ぶりが、このブログにも記載されています。
『エンジェルス・イン・アメリカ』
『エンジェルス・イン・アメリカ』全体の感想
『エンジェルス・イン・アメリカ』自分の中での2つのツボ
素晴らしいスタッフ&キャストたち
閑話休題
さてステージ版ですが、本当に素晴らしかったです。これはアメリカ近現代史や同性愛やゲイといった事項に関心がある人はもちろんのこと、何より演劇が好きな人は絶対に足を運んでもらいたいと思いました。
映画版を私は先にみているわけですが、基本的な構成はほとんど変わっていない思いますが、あらためてミニシリーズ版は映像という特性を実にうまく生かしていたのだなあと感心しました。一方このステージ版は何が違うかと言えば、演じ手のライブ感につきると思います。かなりシリアスな印象だったミニシリーズ版と比較すると、ステージ版はお客さんが笑うところがいっぱいありました(私が単に笑うツボに気がつかなかっただけかもしれませんが)。どこかミニシリーズ版が俯瞰的に、つまり神の視点のような冷静さがあったのに対して、ステージ版は観客のいるところに登場人物たちも一緒にいて、そこに天使たちがやってくるという感覚でしょうか。だから第二部のクライマックスとなる天国でのやりとりの印象が全然違いました。プライヤーが語る「それでも生きたい」にあれほどの説得力があるのは、ステージのライブ感としか言い様がありません。
またある程度の時間がたったことで私たち観客が、あの時代をみつめる視点を得たこともステージ版の演出に少なからず作用している気がしました。トニー・クーシュナーがゲイカルチャーやユダヤ人という立場からのパーソナルなものだったはずなのに、さまざまな被差別の要素も巻き込んで、そんなマイノリティーたちと共に生きることの重要性が普遍性を獲得してきたとも言えます。
本作の素晴らしさを伝えるには私の語彙では全く足りないのですが、見終えたあとに「生きることは素晴らしい」という気持ちになれるという事実だけでも、本作の凄さがわかっていただけるのではないでしょうか。基本的に芸術とは「生への祝福」という行為だと私は考えます。讃えたり否定したりとアプローチは違えど、人間が生きる上での営みの本質を見つめることです。それを本作は成し遂げています。生きていることで祝福される、終幕のプライヤーのモノローグに胸を打たれたのは、今なお生きることが難しい時代ゆえにとも言えますし、そこが本作が持つ普遍性なのでしょう。
と、偉そうに書いていますが、あまりにも凄すぎて完全に消化しきれていないところはありますし、独創的で理解していない部分も多いと思います。わからなかった固有名詞もありました。でもこういう作品を理解するためにサブテキストを見つけて調べるということも自分では楽しいです。素晴らしい作品はそれだけでも心を豊かにしてくれますが、その先もこうやって導いてくれるのですから。幸せなことです。
俳優陣はみなさん本当に素晴らしい。このスケールを毎晩演じるという事実だけでも凄いのですが、もう表現力の引き出しの多さに圧倒されます。特にアンドリュー・ガーフィールドが演じたプライアーは圧巻で、この時代に災厄に巻き込まれることで預言者という立場になってしまう物語の流れがすんなりと理解できたのは、ガーフィールドが笑いと悲しみの絶妙のバランスの上で、プライアーを演じていたからだと思います。またロイ・コーンを演じたのがネイサン・レインだったことも大きな差違となりました。パチーノが演じたことで出てきたロイ・コーンの大物感というか重さは消えたのですが、逆にゲイでありながらそれを絶対に認めない欺瞞の権化のような男の滑稽さがにじみ出てきました。しかもレイン自身がゲイであり、彼自身もそこについては人生の中でいろいろな思いがあったはずです。そのあたりがロイ・コーンのセリフにダブってみえてきた部分もあって、レインならではの役作りとなっていました。いわゆるODSに分類される物をみるのは2回目だと思うのですが、やはり本物の演劇とは別物だと感じました。特に本作はステージという空間をかなり独創的な構成をしています。場面転換も多く、時には同時進行でわざと後ろに前場面を残したりもしていました。これはステージで目の当たりにすることが可能だったら・・・と感じました。しかし本公演を物理的にみることができない人にとっては有益な手段だとも実感しました。日本でA・ガーフィールドやN・レインが出演する舞台をみるなんて絶対に無理です。そんな素晴らしい俳優陣のステージに少しでも触れることができただけでも、喜ばしい限りです。
数少ない本物の一級品であることは間違いありません。残念ながら今のところ、再映の機会はないようです。でももしこのステージに接するチャンスがあったら、ぜひ足を運んでください。
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