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2017年10月 8日 (日)

『デルス・ウザーラ』70ミリプリント版(フィルムセンター)

 昨日10月7日にフィルムセンター大ホールでの『デルス・ウザーラ』70ミリ上映をみてきました。素晴らしい経験でした。twitterでつぶやいたら予想外に賛同していただけた方が多くいらっしゃいました。そこで自分の備忘録と、なぜそこまで自分が『デルス・ウザーラ』に魅了されたのかを、ここにまとめておきたいと思います。かなり長い文ですが、おつきあいいただければと思います。

<黒澤作品との出会い>
 私が映画に興味を持ったのは小6から中1にかけてで、当時は名古屋在住でした。1970年代後半の名古屋には、東京や大阪と比較しても名画座という物がほんとんどありませんでした。ビデオというメディアもなかった時代ですから、旧作をみる機会は本当に限られていました。その中で初めての黒澤体験は、1982年に地上波テレビ放送でみた『七人の侍』で、3時間圧倒されたというのが実感でした。その後、その年がたまたま東宝創立50周年だったので、年末にかけて旧作の特集上映が東宝上映館(名古屋はエンゼル東宝)でありました。その中で『生きる』(同時上映は『駅STATION』でした)と『天国と地獄』をみることができました。やがて川崎に転居してからは首都圏の名画座をまわって黒澤作品を数多くみることができました。リアルタイムの黒澤作品は1985年の『乱』からです。オールドファンからはあまり評判はよくないですが、神の視点から俯瞰したように描く時代劇は当時の私にはかなり衝撃的で好きな作品です。

<『デルス・ウザーラ』との出会い>
 1980年代中頃からビデオソフトが出始めます。しかし黒澤作品の国内正規版はなかなか出てきませんでした。ちなみに『乱』までの黒澤作品の権利を持っていた会社は5社。大映(『静かなる決闘』『羅生門』)、松竹(『白痴』)、ポニーキャニオン(『乱』)、CBSソニー(『デルス・ウザーラ』)、そして残りが東宝なのですが、この中で一番早くに国内正規版がリリースされたのは、実は『デルス・ウザーラ』でした。この作品は配給が日本ヘラルドだったため、当初はCBSソニーがVHSをリリースしていました。しかも当時には珍しいフルフレームのノートリミング版で。初めてビデオでみた黒澤作品がこれでした。いつもの黒澤作品らしい激しさはありませんでした。でも画が写実的でありながら物語は寓話的な表現と、静けさの中にも厳しさと強さを内包しているその語り口は素晴らしいの一言で、心に残りました。最後の「鷲の歌」もぐっときました。当時の自分の鑑賞メモには「自然と人間をワイド画面で見つめる力業。」と記してあります。作品自体の力もそうですが、過去の黒澤作品のあと、『乱』をみてから『デルス』をみた順番もよかったのかもしれません。今から思えばこの作品は、カラーになった後期黒澤作品と、その前の作品との転換期にあった作品ですから、作風の変化を自然に受け入れられたのかもしれません。

<『デルス・ウザーラ』の受難>
 『デルス・ウザーラ』は前述のVHSリリース状況でわかるように、ソ連作品と言うことで他の作品とは扱いが違うことが多かったです。BS放送などでもかかることは他の黒澤作品と比較しても少なかったですし、特集上映でも、何本かで構成される時には上映されることが少なく、全作という時でも外されることが少なくなかったと記憶しています。ここ最近でいえば2010年の黒澤生誕100周年時のシャンテシネでの上映はありましたが、同企画の大阪上映時には上映されませんでした。
 またビデオリリースでも残念な扱いが続きます。初リリース時のCBSソニー版は字幕打ち込み状態での日本公開時のポジフィルムから起こされた素材。VHSは基本的にずっとこのままでした(最終的には東宝から再リリース)。一方DVDですが、まず東宝から他の黒澤作品と一緒にリリースされます。しかし他の黒澤旧作群が徹底的にブラッシュアップされているのに、『デルス』はほったらかし。画質はお世辞にもよいとは言えず、音声はモノラルのまま。とても残念でした。ただ同梱されていた約50ページに及ぶブックレットは本当に貴重です。ソローミン氏の文章もありますが、もっとも興味深かったのが、黒澤組でスクリプターとして、そして時にはきっともっと大きな役割を果たされていたであろう野上照代さんの「『デルス・ウザーラ』製作の現場」という文章でした。今から考えれば後述する「樹海の迷宮」にも掲載されていた製作日誌を抜粋した物だったかもしれません。
 しかし時には海外製作と言うことでの幸運もあります。この後、意外なところからも正規版が登場します。なんとロシア映画評議会(RUSCICO)が素材化したものを日本でロシア映画を多数リリースされているIVCが発売したのです。音声は初の5.1ch! 特典も日本初のものがある! もう狂喜乱舞ですぐ購入しました。しかし本編が2枚に分割され、音声も5.1chにはなっていたけれど勝手にSE類が付け足され(比較するとわかります)、画質についても悪くはないけれどそこまで劇的な変化とは思えず、失望感も大きい商品でした。その後、もう一度、2013年にオデッサエンタテインメントより3度目のDVDリリースがありましたが、世はすでにHD映像全盛の時代。ブルーレイを楽しみにしてこちらは購入しませんでした。しかし国内正規版はいまだにどこからもブルーレイは未リリース。東宝はDVDで出した他の旧作はちゃんと発売しているのに・・・。本当に残念です。

<「黒澤明 樹海の迷宮」の衝撃>
 2015年に『デルス・ウザーラ』をめぐる状況に大きな変化をもたらす書籍が登場します。小学館から出版された「黒澤明 樹海の迷宮」です。本書は大きく分けて3つの要素で構成されています。まず製作に至るまで、そして完成後を追った笹井隆男氏のルポ。さまざまな記録を検証した新事実の数々は驚きでした。そしてデルス・ウザーラの決定稿(これもびっくりだった)。でも何よりも読んだ私が衝撃を受けたのは野上照代さんの撮影日誌でした。『デルス・ウザーラ』の撮影が時期的にも物理的にも本当に大変だったというのは有名な話です。晩年黒澤監督がかぶってらっしゃった帽子は、この撮影期間中にかぶっていたものを作り直して使っていたそうです。遺作『まあだだよ』公開時のインタビュー時では、「あの時の撮影は大変だった。あの苦しみを耐えたのだから、他の事も何でもできる、そんな気持ちでかぶっている。」と発言しています。そんなすさまじい状況をずっとそばにいた野上さんがひたすら客観的に記録しています。もちろん映画監督という職業柄、かなり個性的な方であることは承知しています。実際、そんな現場の映画監督の典型的なあり方を知らないと、ただのわがままな人ととらえられても仕方がないほどの言動が連発です。しかしその先には、こうやってあの名作を完成させたという事実があります。『トラ・トラ・トラ』の挫折や自殺未遂騒動の直後に、初めての海外資本の製作現場(しかもロシアの想像を絶する地形&気象条件だった)で、日本人スタッフはわずか5人、あとは200人近いロシア人と2年間奮闘した60歳代での黒澤監督。読み終えて、なぜか映画のエンディングでも使われたあの「鷲の歌」が頭の中で流れてきたような気持ちと共に、胸いっぱいになってしまったことを覚えています。

<いくつもの幸運と情熱の結晶、素晴らしかった70ミリプリント上映>
 そして。10月7日、京橋のフィルムセンターに足を運びました。ものすごく久しぶりだったと思います。どのぐらい人が来るのか読めなかったのですが、絶対に見逃せない!という思いがあったので、朝8時過ぎには並びました。映画のために並ぶなんて久しぶりでちょっとワクワクしました(笑)。上映前のフィルムセンター主任研究員をされているとちぎあきらさんがご挨拶をされます。そこでも述べられていましたが、今回の上映プリントは松江陽一プロデューサーから寄贈されたものだそうです。(これを聞いた時にいよいよコンディションが心配になりました。) 
 いよいよ上映開始。開巻早々に日本ヘラルド映画のロゴがうつります。そう、黒澤作品が好きな人に言うまでもありませんが、今はなきヘラルドに黒澤作品は『デルス』と『乱』の2度救われています。私自身名古屋在住ということもありましたし、映画ドハマりの頃の自分には、東宝東和よりもヘラルドが重なるので、そこでまずぐっと来ました。注目の70ミリプリントの状態ですが、これがびっくりするぐらいコンディションがよかったです。1975年ロードショー上映時の70ミリプリントとは思えない美しさでした。猛吹雪の冬、緑が目にしみる夏、あの太陽と月が並ぶ場面も見事な色調でした。色むらもこれはもともとのソ連製フィルムの限界だったと思われますし、退色というよりは当時の色味がきちんと出ています。もちろんフィルム傷などはそれなりにありますが、フィルムやパッケージソフトも含めて少なくとも私が今まで経験した『デルス・ウザーラ』の中ではもっともよい状態で楽しめたプリントであることは間違いありません。
 さらに驚いたのがその音。撮影時に70ミリカメラなどを使わなくなり、さまざまなレンズもフィルムも優秀になった80年代。画質上のメリットは以前と比較すると小さくなっていましたが、実は70ミリプリント上映時のもう1つのメリットが音でした。35ミリプリントの基本が光学トラックだったのに対し、70ミリプリントは磁気トラックが基本。立体音響も6トラックまで(フロント5ch、リア1ch)まで可能です。耐久性はおちるのですが、SN比は段違いに優秀で、セパレーションのよい音を当時としては楽しめたのです(まあ、スペック的にはラジカセなどと同じレベルですが)。今回の『デルス・ウザーラ』の音はまさにその音でした。光学トラックほどぼやけておらず、デジタルサウンドほどの鮮やかすぎて時に耳障りになることもなく、耐久性が落ちてノイズ出まくりなどということもなかったのです。
 twitter上でも状態の良さをたくさんの人が驚いていました。というか1975年当時の70ミリプリントがどうなっていそうかをイメージできる、プリントの「常識」を知っている人の方が驚きは大きかったと思います。松江さんはどうやって保管されていたのか不思議でなりませんでした。おそらく上映機会の少なさ、黒澤監督作品というネームバリューやオスカー受賞という「重み」(プリント全巻の重量自体も重いですが)、何より松江プロデューザーをはじめとする制作側、東宝ではなくヘラルドだったという興行側、そしてフィルムセンターのスタッフさんをはじめとするアーカイブの関係者が熱意を持ってバトンを手渡すという幸運が重なったのだろうとしか言い様がありません。

<ただただ感激したこと>
 さて。もうひとつだけ話をさせてください。当日11時の回で私の整理券番号はかなり前の方でした。ホール中央は関係者席でしたが、まあ自分もそのあたりでみたかったのでその前の列に座りました。しばらくして後ろの関係者席に女性が座られました。ところがその声に驚きました。映画ファンにも馴染み深いその声は、あの野上照代さんだったのです。黒澤好きにもかけがえのない存在ですが、デルス好きにとってはもっと重要な存在である野上さん。次々と他の関係者が挨拶のために近くにいらっしゃいます。他の客席の方も何名か気づかれていたと思います。もちろん私も振り返ってご挨拶したかったのですが、プライベートでいらっしゃっている可能性もあることを考えると、ぐっと我慢しました。とちぎさんのあいさつで、観客に野上さんが紹介されました。場内から大きな拍手。私もすぐ振り返って大きく拍手をしました(本当は立ち上がりたかった!)。上映が終わって退場する時、どうしても一言申し上げたい気持ちを抑えられず、野上さんに「同席できて本当に光栄でした。ありがとうございました。」とだけ声をかけさせていただきました。野上さんからは「ありがとうございました。」と返していただきました。

<結びにかえて>
 DCP全盛の今、フィルム自体を扱えるところも減少し、ましてや70ミリプリントを上映できる場所は本当に少ないのですが、フィルムアーカイブであるフィルムセンターが、今回その上映設備を備えたことはまさに英断です。そして開館以来初の70ミリプリント上映作品として、私の大好きな『デルス・ウザーラ』を選んでいただいたことも、そのプリントがとてもよいコンディションで保管されていたことも、あの野上照代さんと前後の座席に座って『デルス・ウザーラ』をみられたことも。何という幸運でしょうか。映画好きとして幸せな時間だったとしか言葉が見つかりません。関係のあるすべての皆様に心から感謝の気持ちをお伝えしたいです。ありがとうございました。

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