「大人」になる
あの時の感動は今でも覚えている。
はじめて『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』をみた時のことだ。よい映画をみた。そしてこの映画は今の日本に痛烈なメッセージを持っている。
私が一番グッときたのはヒロシの回想シーンだ。
ヒロシがどのようにして大人へと歩み、やがて親となるかが描かれていた。
自分がちょうど似たような状況だったから余計にそう感じたのかも知れない。
でも自分は間違えていないと教えられた気がした。
つまり子どものために献身的に行動することは未来への貢献なのだということだ。
そしてそれができるということが「大人」なのだということ。
だから。
私たち大人は自問自答すべきだ。
なぜ今、これほど子どもたちの未来に翳りが生まれているかを。
そして自分が本当に「大人」になっているかを。
確かに子どもの声はうるさい。
働いている親についてもいろんな課題があるし、
親のモラルについても議論はあってしかるべきだ。
(それほど親のモラル低下は来るべきところまで来ている)
また私は子どもがいないという選択肢を尊重する。 いろんな生き方があっていい。 しかしだからといって子どもをないがしろにした 生き方が許されるわけではないと考える。 社会で生きていく以上、子どもを見守る生き方は しなくてはいけない。
満員電車のベビーカーに腹は立つだろう。
私もしたり顔で親の気持ちを代弁するつもりはない。
中には非常識な人もいるだろうから。
でもそこで怒ってどうなるのだろう?
店内でかけずり回る子がいる。
「危ないよ」と声をかけても、
そのまま無視してもどちらでも構わない。
親に苦情を言ってもいいだろう。
でもその子たちを見守るというのは
最後は「許す」ということではないのだろうか。
私たちはかつてみんな子どもだった。
それを大人たちが献身的に支えてくれたから今がある。
バトンはきちんとつなぐべきではないのか。
子どもは宝だ。なぜなら子どもたちがいないと未来がつながらないからだ。子どもが幸せに成長できない社会が幸福なわけがない。
「大人」になろう。 そして「大人」の社会になろう。
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コメント
感動しました。
わたしは、これから子供を作る予定もないし、間違いなく子供はモテないけれども、仁消さんのお気持ちをそういうそのへんにいっぱいある感慨を越えて迫る力が届きます!
子供を持って、子供の成長を待つことって、きっと未来を託している、未来を信じることなんだなあ、と実感しました。
自分は子供いないままにこんなことを言うのは日々悪戦苦闘の親御さんたちに失礼だと思うけど、きっとそうなんだ、と感じます。大人の社会になろう、は胸に響きます!
風林火山
投稿: 風林火山 | 2016年4月11日 (月) 23:22
風林火山さん、こんにちは。コメントありがとうございました。おはずかしい青臭い文章で・・・(汗)。ただこうして共感していただけると嬉しいです。
私が社会人落語を続けている理由として、「大人」の皆さんに会えることがあります。何というかすごく1つのことに夢中になって輝いているというか、こういう風に年令を重ねたいなあと思わせていただける皆さんとの出会いは自分にとって大切です。風林火山さんのエネルギッシュな高座、活動、そして宴会での心配り! 心から尊敬しています(大まじめに)。これからもよろしくお願いします。
投稿: じんけし | 2016年4月12日 (火) 21:31