じんけし、落語に挑戦する その2
私のきいていた時代というのは昭和の名人がTVやラジオなどで輝いていた最後の時代。このあと落語は完全に「冬の時代」へと突入します。私もきいていてあんまりおもしろく感じないし、年齢的なものもあって十代二十代は映画やUKロックへどっぷりとなります。なので完全に落語からは離れてしまいます。
ところが私の仕事に落語が役立ちます。ある時、「寿限無」の長い名前をすらすら言ったところ大受け。今でこそNHKのEテレなどで「日本語であそぼ」などが脚光をあてていますが、その当時は「何なのそれ」でしたから。「寿限無」と「時そば」をときどき披露するようになりました。
そして運命というか、何というか。2008年の3月。本当に十数年ぶりにふらっと入った浅草演芸ホールで三遊亭遊雀師匠の「反対俥」と遭遇するのです。そのおもしろさに悶絶。私は先代小さん師匠の大ファンだったせいもあってか、談志師匠が好きになれない(談志師匠の噺は全然おもしろいと思えないのです)。小朝師匠は肌に合わず志ん朝師匠をきくチャンスも逃していた。春風亭昇太師匠の高座は唯一おもしろかったけれど、自分を落語にまで引き戻すほどではなかった。でも私自身が四十台に突入して、さらに遊雀師匠のエネルギッシュな語り口にはドップリとはまってしまったのです。
さてそれからは。さまざまなオンエアをエアチェックし(4年近くになってそれなりのライブラリになってきました)、遊雀師を入り口にして落語会や寄席に足を運ぶようになりました。大好きな落語家さんも増えました。また時には自分の話芸修行や余興用に、年にひとつぐらいは新しい噺を覚えました。というわけですっかり落語ファンとなったのです。
ここで次のきっかけが訪れます。(まだまだ続く)
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