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2011年8月15日 (月)

『ツリー・オブ・ライフ』を考える その2

 では全く違う見方をしてみましょう。それは長男の物語としてです。自分はいつから自分であったのかという問いは、宗教においても哲学においても根源的なものです。自分のルーツは両親の影響を受けて子どもは育ちますが、その両親はさらに誰かの影響を受けているので、自分は延々と受け継がれてきた命の営みの中にある一瞬にしかないという気づきは、その中で自分が果たすべき役割についての啓示を導きます。それは母の物語とは表裏一体となっており、あちらが精神的な側面での人の生き方を示唆しているとすると、こちらは生物学的な側面での生き方を示唆しています。地球における生命の誕生からはじまった物語は、その母なる地球に抱かれるイメージで終わるのです。
 そして、その長男の精神をそのまま映像化してしまったのが本作なのでしょう。人を描くのではなく、人の心そのものをうつしとろうとするこの試みはすごいと思いました。人は何かを回想する時、シークエンスではなく、シーンで思い浮かべます。この映画の構成がまさにそうで、あの断片的な映像は回想そのものです。撮影監督エマニュエル・ルベツキは回想シークエンスを手持ちカメラで撮影していますが、必要以上にアップのシークエンスが多いことも含めて、それはドキュメンタリー的な現実感を出そうとしたのではなく、回想の再現を目指したのではないかと感じました。

もう少し続きます。

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