『欲望という名の電車』
☆☆☆ 心という闇の中をのぞき込む最良の映像化。
テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した本作。なるほど、これはクラシックと呼ぶにふさわしく、何度も何度も作りたくなる深い魅力があると思いました。まず主な登場人物それぞれの造形が個性的である事。ステレオタイプにならず、それでいてそれぞれに普遍的な人間的な脆さも含んでいる。これは俳優さんにしてみると演じ甲斐のある役柄でしょう。そして物語自体が演出家を刺激する自由度がありながら、多層的な構造をしているところも大きな魅力でしょう。エリア・カザンの演出は、演技陣から巧みな引き出し方をするだけでなく、その演技者自身の人間性すら透かしてしまう鋭さがあり、またその南部のうだるような湿気の中で暮らす社会的底辺で生活する人々を視覚的な表現でも的確に構築しています。ただそれが映像としての魅力なのか、戯曲自体が持っている魅力なのかは評価がわかれるところでしょう。
さて語るべきはマーロン・ブランドよりもビビアン・リーでしょう。彼女の演じるステラは絶品の一言です。美しく儚げで純粋でありながら、その奥にある影、ずるさ、欲、肉体的な快楽、そして秘密。だからいけないとわかっていても、もっとその人を知りたくなる。そしてその先にある悲劇。わかっていても繰り返される不幸。ビビアン・リーは、この作品でそれを表現してしまっている。その凄さに圧倒されながら、それが彼女にとって幸福だったのか不幸だったのかにまで思いを馳せてしまいます。
心という闇の中をなぜ人はのぞきたくなるのか、観客は自問自答しながらビビアン・リーの名演と共に、永遠の忘れ得ぬ物語を心に残すのです。
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