訃報:ポール・ニューマン
米俳優のポール・ニューマンさんが9/26、がんのため死去しました。享年83歳。2007年5月に出演したTV番組で老齢による演技力の低下などを理由として俳優引退を発表し、その後肺ガンで闘病中との報道がなされていました。病院でのガン治療から本人の希望によりコネチカット州の自宅で療養生活を送っていたそうです。
1925年1月26日、オハイオ州クリーブランド生まれ。家業のスポーツ用品店を継ぐためにオハイオ大に進学。50年からイェール大の演劇科で学び、52年にはニューヨークのアクターズ・スタジオに入学。同期にはジェームズ・ディーンやマーロン・ブランドがいたのは有名です。ブロードウェイの舞台「ピクニック」の演技が高い評価を受け、1954年『銀の盃』で映画デビュー。以降『傷だらけの栄光』(1956)で注目を集め、『熱いトタン屋根の猫』(1958)でアカデミー賞主演男優賞に初ノミネート。『ハスラー』(1961)、などでノミネーションを重ね、実に個人として受賞する『ハスラー2』(1986)までに7回のノミネートを要します(ちなみに死ぬまでにノミネーションは8回)。また映画監督としても『レーチェルレーチェル』(1968)でアカデミー賞作品賞など4部門で候補になっています。映画関係以外にも数多くの顔を持ち、まずはカーレーサーとして、デイトナ24時間レース5位、ル・マン24時間レース2位などの記録を残していますし、実業家としても82年に設立した食品会社「ニューマンズ・オウン」で発売したサラダドレッシングやスパゲティ・ソースが世界的なヒットをしています(余談ですがおいしいですよ!)。またその純利益を全額、恵まれない子どもたちに寄付した功績を認められ、1993年のアカデミー賞でジーン・ハーショルト友愛賞もおくられています。私生活では最初の結婚生活は破綻しますが、2度目の相手、ジョアン・ウッドワードとはおしどり夫婦として知られ、共演作や自らの監督作での主演などもあります。しかし1978年には長男が薬物におぼれ死んでしまうという悲劇も経験しています。
代表作は数多くあり、ロバート・レッドフォードと組んだ『明日に向って撃て!』(1969)と『スティング』(1973)、序列でのエピソードもおもしろい『タワーリング・インフェルノ』(1974)、ルメット、そしてニューマンにベストワークにあげる人も多いであろう『評決』(1982)などがあります。遺作は『カーズ』(2006)のボイスキャストでした。
大人になってから憧れが増した俳優さんでした。もう思い出に残る作品がたくさんありすぎですね。『評決』『ハスラー2』もそうですが、やはり『暴力脱獄』のニューマンが格好良さではダントツでしょう。また『シャドー・メーカーズ』のグローブス将軍の鬼気迫る演技も印象的です。また『ガラスの動物園』は映画監督ニューマンをもっと評価すべきだということがわかる佳作でした。うん、遺作が『カーズ』のあの役というのはよかったと思います。
ご冥福をお祈りします。
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