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2008年9月 4日 (木)

訃報:市川崑

これも抜けてました。

 映画監督の市川崑氏が2/13、肺炎のため都内の病院で死去しました。享年92歳。
 1915年11月20日、三重県生まれ。1933年、東宝京都スタジオに入社し音声漫画部に所属。45年に人形劇『娘道成寺』を手掛けた後、東宝争議もあり新東宝へ。47年『東宝千一夜』で監督デビュー。1955年、日活に移り、翌1956年の『ビルマの竪琴』が、ヴェネチア国際映画祭サン・ジョルジュ賞、米アカデミー外国語映画賞ノミネートなど高い評価を受けました。その後も『炎上』(1958) 、『野火』(1959)、『おとうと』(1960)など多くの名作を生み出します。総監督を務めた1965年『東京オリンピック』は配収12億5000万円を記録する一方で、記録映画か芸術かの一大論争を巻き起こしたことも有名。70年代に入ると『犬神家の一族』(1976)、『獄門島』(1977)など一連の横溝正史原作の「金田一耕助」シリーズでヒット作を連発。80年代は『細雪』(1983)、『おはん』(1984)など文芸大作を手がけました。2006年『犬神家の一族』を30年ぶりにセルフリメーク。2007年公開のオムニバス映画『夢十夜』の1編『第二夜』が遺作となった。また1948年に脚本家の和田夏十さんと結婚下後、彼女とは1949年の『果てしなき情熱』以降、83年に和田さんが亡くなるまでほとんどの作品でコンビを組んでいます。
 1960年代から70年代には名作を数多く残しているのも紛れもない事実で、実は私、それほど好きな作品がないのです。正直私がリアルタイムでみていた80年代以降、「当たり」は少なく『鶴』『竹取物語』などの「珍品」の方が多かったと思います。ただその柔らかなライティングや独特のタイトルバックなど、日本の監督には珍しく映像のスタイルでも記憶される監督だったのは特筆に値します。また実は(結果論かもしれませんが)邦画史上に残るヒットメーカーだったとも言えます。またスタートがアニメーションだったせいか、アニメに関わる仕事もたくさんあります。これで邦画黄金期の1969年に4人の巨匠が組んだ「四騎の会」のメンバー(他は黒澤明、木下惠介、小林正樹)は全員鬼籍には入りました。私の市川崑のベストは『幸福』(1981)。この映画は権利関係の問題で現在ソフト化されておらず、フィルムセンターのプリントでしか上映されない幻の名作です。
 ご冥福をお祈りします。

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