宮崎駿(5)
<結論:『崖の上のポニョ』の世界が理想郷>
はっきり言います。結局この作品は宮崎駿に関心があるものだけで構成されています。途中で出てくる「ワルキューレ」などとの関連性を真面目に論じる必要はありません。ただ単にポニョをワルキューレにあわせて(久石譲の音楽までモロですものね)大波の上を走らせたかっただけです。そして自分を無条件に愛してくれると幼女と自分に関心をもってくれる元気で個性的な老女がいてくれれば、たとえ世界が滅んでもかまわないということなのでしょう。
自分の最後の長編になると覚悟した『千と千尋の神隠し』のカオナシは宮崎駿だと私は思っています(このキャラの存在は彼のフィルモグラフィの中では突出して異質なのです)。自分より小さくて幼い相手への興味をそっと暗喩的に表現したのです。しかし彼が伝えた思いは決して叶うことはないというあきらめにもにた喪失感も同時に存在していました。
しかし宮崎駿は自分のこの先短い時間を考えて、ここに自分が暮らしたい理想郷を映画にしたのでしょう。そう考えるとこの作品が黒澤明の『夢』に近い脳内妄想ゆえの物語破綻があっても納得です。そして自分の興味を出すことに何のためらいもなくなったのでしょう。主題歌も本当は自分が歌いたかったのかもしれません。
そんな世界がヒットするのですから映画作家としては幸せなのでしょうね(悪いけどイヤミですよ)。
(了)
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