『サンキュー・スモーキング』
☆☆☆1/2 現在を生きることをうまく浮かび上がらせる良品。
ジェイソン・ライトマン(親父がアイバン・ライトマン)の長編デビュー作は見事にブラッシュアップされた知性的な仕上がりとなりました。
何が見事かといえばこの作品自身が一種の開き直りからくる立ち位置をうまくキープできたこと。喫煙にも禁煙にもなびかず、親子の問題にしても教訓がましいことはなく、そして主人公の立ち位置も全面的に共感できるキャラクターにしなかったこと。このあたりは上映時間からも察するに、かなりの要素をそぎ落としたのではと感じました。しかしそこから浮かび上がるのは現代を生きることとはどういうことなのかという哲学的な問いなのです。誰の手のひらの上からも逃れることはできないものの、生きるためには清濁呑みこむ必要がある。その中ではささやかながら自分の責任で生きていきたいという部分をうまく描いています。反面当然それ自身ゆえのジレンマに陥っている部分もあり、特に彼の仕事はいてもいなくてもどっちでもよい仕事であるという部分が抜けました(現代だから成立するという皮肉ですよね)。何しろ主人公が結果的には一切責任をとっていないわけで、この点は残念に思います。細かなディテールもきちんと描き込むことで小さなくすぐりも効果的。アーロン・エッカートに初めて関心。正直どうしようもない大根だなあと思った(中でも『プレッジ』『エリン・ブロコビッチ』)と思ってたのですが、この作品はそれが好作用したかもしれません。
いかにもアメリカ的なこの題材。しかしながら難しさはまったくなくエンターテイメントとしてきちっと成立しています。そのあたりも評価したい良品です。
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