訃報:チャールトン・ヘストン
米俳優、チャールトン・へストンが、4/5にカリフォルニア州ビバリー・ヒルズの自宅で死去しました。84歳でした。
1924年10月4日、イリノイ州エヴァンストン生まれ。ノース・ウエスタン大学で演劇を専攻し、そのときの仲間だったリディアさんと結婚。47年、妻と旗揚げした劇団でブロードウェイに進出し、テレビでも活躍しました。ちなみに私生活は大変堅実でハリウッドスターとしては珍しく離婚歴がなく、20歳の時に結婚したリディア夫人と自身が亡くなるまで64年間連れ添いました。1950年『虐殺の街』で映画デビュー。1953年『地上最大のショウ』でセシル・B・デミル監督に抜擢され、注目を集めました。“ミケランジェロの彫刻”と称された肉体美やよく響き渡る美声で、一気にスターダムを駆け上がりました。『十戒』(1956)、アカデミー賞歴代最多の11部門を制覇し自身も主演男優賞に輝いた『ベン・ハー』(1959)、『エル・シド』(1961)、『北京の55日』(1963)、『ジュリアス・シーザー』(1970)、『猿の惑星』(1968)、『大地震』(1974)、『原子力潜水艦浮上せず』(1978)などスペクタクル大作の顔として名をはせ、1966年から1971年までは、俳優組合の会長をつとめました。近年では脇を締める役が多く、『マウス・オブ・マッドネス』(1994)、『トゥルーライズ』(1994)、『アルマゲドン』(1998)のナレーションとか、ティム・バートン版『猿の惑星』(2001)なんてのもありました。
2002年8月に自分がアルツハイマー病であることを公表します。最近の映画ファンはやはり全米ライフル協会の会長をつとめていたことが印象的でしょう。1998年から2003年までつとめていますし、2002年のドキュメンタリー映画『ボウリング・フォー・コロンバイン』ではマイケル・ムーア監督の直撃を受けたことも話題になりました。
まあこれだけ大作に出ていますからねぇと言いつつ、実は『ベン・ハー』も『十戒』もみていない私。正直『クライシス2050』のようなどうでもいい作品もたくさんあります。印象的なものはパイロット役が渋かった『エアポート75』(1974)、なぜか妙にインパクトのあった『誇り高き戦場』(1967)でしょうか。ご冥福をお祈りします。
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