マイ・クロニクル・オブ・『ブレードランナー』 その3
2回目の観賞後『ブレードランナー』を1984年に1度、1985年に1度、名画座で足を運んでみています。そのたびにさまざまな発見がありました。しかしそうそう何度も同じ作品をみるわけにはいきません。そのかわりに映画ファンに別のメディアが登場してくるのです。それはビデオでした。メジャーの映画会社の中で最初にレンタルを公式に認可してスタートしたのは、実はワーナーでした。そして『ブレードランナー』はビデオによって新しい生命を得るのです。何しろあれほど何度もの鑑賞に耐えられる作品は滅多にありません。ワーナーがレンタルをスタートさせた作品の中でも群を抜く人気を獲得します。私自身、メディアでは『ブレードランナー』をさまざまな形で所有しました。最初にVHSをダビングしたもの(ワーナーは最初レンタルのみしかなかった。考えてみるとダビングをしたソフトはこれが最初だった)。そして初めて購入したのがLDのCAV版で登場した「完全版」(LDで初めて購入したのはこれだった)。その後クライテリオンから出てきたCLV版の米国盤LD(この画質の美しさが米国盤LDにはまるきっかけになったと言えます)。これらをくり返しくり返し鑑賞しました。
メディア以外でいえば、『ブレードランナー』に関するものでいうと原作本、シネフェックス、そしてサントラもどきでした。私がディックをはじめとする海外SF作家を読みあさる入り口になったのはこの映画と『2001年宇宙の旅』でしたし、視覚効果に関する部分ではシネフェックスという雑誌を初めて購入したのもこの映画がきっかけでした。サントラに関してはLPの頃にまずリリースされたニューアメリカンオーケストラのものでも充分満足したのです。のちに1989年にヴァンゲリスのベスト盤とはいえ、オフィシャルな形でリリースされたことに狂喜乱舞したのはいうまでもありませんでした。
ところが初公開後10年たったある日、意外な形で『ブレードランナー』とショッキングな再会をはたすことになります。それがディレクターズカット版でした。
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