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2007年12月22日 (土)

訃報:田中徳三

 映画監督の田中徳三さんが12/20、脳出血のため奈良県橿原市の県立医大病院で死去しました。享年87歳。葬儀は近親者のみで行い、後日しのぶ会を開くそうです。連絡先は大阪市西区九条1の20の24シネ・ヌーヴォ。
 田中監督は大阪市出身で関西学院大学に入学、学徒動員され復員後、1948年に大映京都撮影所に入社。溝口健二監督『雨月物語』や黒澤明監督『羅生門』で助監督を務めた後、58年に『化け猫御用だ』で監督デビューしました。大映の2大スター市川雷蔵と勝新太郎とのコンビでも知られ、雷蔵とは1959年の『お嬢吉三』を皮切りに、『眠狂四郎』シリーズや『濡れ髪三度笠』『手討』で組んでいます。また勝新太郎とは1961年からは勝新太郎さん主演で『悪名』シリーズがスタート、他にも『座頭市』『兵隊やくざ』もシリーズ化し、田中監督のフィルモグラフィの半数にあたる20本以上を勝新太郎とのコンビで撮っています。大映倒産後フリーになり、テレビの『必殺仕事人』『遠山の金さん』などや2時間ドラマなどを監督。今年11月には河内家菊水丸さんと一緒に、三十数年ぶりに監督した短編『田中徳三監督 少年河内音頭取り物語』を完成させ、大阪市内で行われた上映会には元気な姿を見せていました。その後体調を崩して入院していたそうです。
 私には雷蔵とのコンビ作が印象深いのですが、こうして大映黄金期を知る職人肌の監督がいなくなってしまうのは寂しい限りです。ご冥福をお祈りします。

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