マイ・クロニクル・オブ・『ブレードランナー』 その1
これから数回にわたって『ブレードランナー』をめぐる自分の記憶と想いを整理していきたいと思います。
『ブレードランナー』が日本で劇場公開されたのは1982年7月3日。まずこの時期の興行街を説明せねばなりません。この年の夏作品はいつもと様子が違っていました。というのもアメリカでは空前の夏興行が展開されていました。そう、『E.T.』があったのです。ところが『E.T.』はもともとヒットを期待された1本ではなかったので、日本では夏ではなく年末にブッキングされ、夏には彼がプロデュースし、トビー・フーパーがメガフォンをとった『ポルターガイスト』を配給会社CICは選択したのです。さらにこの作品も含めて、日米同一シーズン公開作品がずらりと揃いました。『ファイヤーフォックス』『メガフォース』、そして『ブレードランナー』はアメリカと公開日が1ヶ月前後しかずれていませんでした。宣伝も大変だったはずですが、それだけ期待も大きい物を揃えたと言えます。そう、本当に粒ぞろいだったのです。前出4作品の他に大本命の『ロッキー3』、『キャット・ピープル』『コナン・ザ・グレート』がありました。(ちなみにこの年のアメリカの夏興行を制したのは『E.T.』『ロッキー3』、そして『愛と青春の旅立ち』だったが、『愛と青春の旅立ち』はそれほど期待されていなかったため、これも日本では12月公開となる) つまり『ブレードランナー』は日本の配給であるワーナーと、興行側(松竹・東急)が勝負になると見込んだ作品だったわけで、その証拠に松竹セントラル、新宿ミラノ座、渋谷パンテオンというすべてキャパ1000席オーバーのチェーンを用意したのです。しかしこの作品は見込み通りのヒット作にはなりませんでした。
2020年、レプリカントは人類の宣戦布告!(初公開時のチラシより)
『2001年宇宙の旅』『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』『エイリアン』のダイゴ味を結集した80年代最高の娯楽アクションの集大成。(初公開時パンフレットより)
もう混乱の極みです。結果的にどこの国でも興行的に成功させることができませんでした。この作品のように日米同時公開だった場合、売った方向と中身が違って苦労したという話をよくききます。ただワーナーはメジャーの中でも米本社の縛りがきついことでしられ、日本独自の宣伝戦略で日本だけが興行的に失敗したという見方は正しくないでしょう。つまり米ワーナーでも作品の見込み違いがあり、アメリカでも状況は日本と同じだったといえます。
私自身、この作品をロードショーでみることはできませんでした。この当時名古屋に住んでいた私、一度見逃すと名画座という文化のない地方でしたから、もうチャンスはありませんでした。しかし、すでにこの作品をロードショーでみた人たちには強い衝撃があり、その揺れが大きなうねりとなってひろがりはじめていました。中でも私のような視覚効果に興味のあった中学生にとって、そのあと漏れ伝わってくる情報は「みたい!」と思わせるに充分でした。(結果論ですがひょっとして日本で秋以降の公開だったら、同じ年の『トロン』のように日本が『ブレードランナー』の価値をいち早く発見した国になれた可能性があると、自分の状況からしても感じることがあります)
そして私にも『ブレードランナー』を鑑賞する日がやってきます。
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