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2007年8月 8日 (水)

『夕凪の街 桜の国』

20070812171738☆☆ 映画はマンガに負けた。
 こうの史代さんの原作はさまざまなところで高い評価を受けました。かくいう私も「映画秘宝」で紹介された時に読み、そのすばらしさに胸うたれました。たまたま紹介する必要があってかいた原作のレビューは後日アップするとして。そんな大好きな原作がどう料理されるかという期待もありましたが、不安もありました。それは監督が佐々部清さんだということ。『半落ち』などで知られるこの人、一見その誠実な作風はピッタリなように思う方もいるかと思いますが、私はそう思いませんでした。で、結果的に私の不安は的中します。この作品、残念ながら志は高いものの表現として成功していない作品になりました、
 大きなポイントは2つありました。まず前述した佐々部監督の演出スタイル。私は彼の浪花節は嫌いではありませんし、はまる作品(たとえば『半落ち』)もあるでしょう。浪花節はある程度の型と予定調和が必要になってきます。ゆえに佐々部監督の演出スタイルが結果的にうみだす「わかりやすさ」は安っぽさにつながった気がします。悲しい場面に悲しさをわかりやすくするかのようなBGM。正攻法と古臭くてセンスがない事は同義ではありません(プリプリの『ダイヤモンド』であんな切り返しのカットバックが出てくるとは!)。さらに回想、ボイスオーバーの使い方の陳腐さが原爆という出来事が人々に与えた心の傷の重さにつながってきません。原爆投下後を死屍累々の映像で表現するつもりは佐々部監督にはなかったそうですが、だったらそうしなくてもわかる表現(絵じゃだめです)にしなくてはいけません。この作品は浪花節になってはいけないタイプ(たとえば監督でいえば現役でいけばこういう状況を喜劇にしてしまう森崎東、冷徹に突き放す事ができる柳町光男とかどうですか?)ゆえに、演出スタイルがかみ合わなかったといえます。ついでにいえば彼の演出スタイルに応えられるのはそれ相応の技量のいる演じ手が必要です)。
 もうひとつは前半のパート「夕凪の街」の主人公、七海のキャラクターの描き方が違ったこと。私は原作を読む限り、とても快活で現代的な女性という印象を受けました。同僚の男性とのやりとりも微笑ましさすら感じるやりとりです。ところがみるからに薄幸そうな麻生久美子、ただただ好青年な吉沢悠というキャスティングになった結果、お涙頂戴の雰囲気を漂わせてしまい、さらに田中麗奈演じる「桜の国」と乖離した印象を与えてしまいました。実はこのマンガが素晴らしいのは家族の絆をきちんととらえ、その中で生きていくということをあたたかくみつめているところにあります。つまり「夕凪の街」で失われた命が次の世代が受け止めているところに時間と歴史の重みがありつつも、前向きで力強いあたたかさがあったわけです。しかし映画は残念ながらそこまで表現できていません。
 しかしながらそれでも麻生久美子さんの存在感は素晴らしく、また柔らかくも心の底にぐっと哀しみを押し込めた母役の藤村志保さんもさすがです。堺正章さんは及第点。それ以外(特に若手)はみーんなバツ。表現の引き出しの少なさ、想像力の欠如を反省すべきです。
 戦争にきちんと向き合う映画人の心意気は大いに評価しますが、この作品の表現力はマンガに負けました。
(109シネマズ川崎3にて)

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