他方、宮崎駿も新作『崖の上のポニョ』が製作中である事がアナウンスされました。
その前に先日オンエアされらNHKのドキュメンタリーの中身は、まあ良くも悪くも予想通り。もっと彼のダークサイドをださないとねぇ。『ハウル』をめぐる製作のゴタゴタから『ゲド戦記』、そして昨今、あきらかに悪化しているアニメーションの近況まで、もっとつっこめるポイントはあったはずです。閑話休題。
そのドキュメンタリーでこの新作の製作背景がちらっと出てきますが、ここしばらくの宮崎作品では珍しく、製作スケールとしては中規模クラスで製作期間も短めだということがわかります。しかし個人的に最大の注目は、作品を作るきっかけの中に、息子の吾郎の存在があったことを明言していること。記者会見での席上でのコメント「こんなことになったのは吾朗が5歳の時、仕事ばかりで付き合っていなかったからだ。二度と吾朗みたいな子をつくらないためにこの作品を作る」 この発言はきわめて興味深いものがあります。
彼はすでに国民的作家と呼んでもおかしくないぐらい、幅広い層に受け入れられていますが、作家としての宮崎駿の評価はもっと議論されてよい人だと思っています。『千と千尋の神隠し』なんて、大ヒットするタイプの作品では本来ありません。つまりジブリというネームバリューと、宮崎駿の作品はこういうものだというイメージのみが先行してしまい、彼の映像作家としての本質を曇らせている気がするのです。
私は宮崎監督作品を語る中で『千と千尋の神隠し』が大きな分岐点にあったと考えています。『もののけ姫』で優等生宮崎駿の頂点を極めてしまった感があったので、この作品では今まで表に出てこなかった宮崎駿の暗黒面を素直にはきだした作品のような気がしてならないのです(だからその後の『ハウルの動く城』はたんなる出がらし)。ナウシカ的な顔つきの女の子ではない主役の登場(あの顔つきは今まで『となりのトトロ』など、脇役の顔だった)、人畜無害だった宮崎世界に初登場した湯屋という性的なメタファー、どう考えても作品世界で異質な顔なしなど、これはまさに宮崎版「不思議の国のアリス」です。すると当然「アリス」と原作者ルイス・キャロルの関係もだぶるところがあり、欲というキーワードの中で、セクシュアルな匂いがぷんぷんする作品だったのです。
さらに宮崎監督のフィルモグラフィには大きな特徴があります。それは親子、もしくは家族の絆というものが希薄であるという点です。そもそも家族自体が物語の重要な要素として出てくるのが少なめ。
・『となりのトトロ』唯一家族の世界が描かれる。ただしそれでもお母さんは入院中。お父さんも存在感が大きいわけではない。
・『魔女の宅急便』巣立ちが大きなテーマなので主人公サイドで物語が描かれる。しかし家族を恋しがる要素は少ない。
・『千と千尋の神隠し』両親がブタにされるにもかかわらず、千尋の最大の関心事はハクの救出。
さらに宮崎作品には孤児、天涯孤独という設定や、また家をすてて旅にでるという展開も数多く登場します。この点はもっと語られてもよいと思うのです。つまり宮崎駿作品に家族という要素が少ないのは、偶然なのか、それとも何かを暗喩しているのかという部分。
それをふまえると『ゲド戦記』は心中複雑だったと思います。なにせ、いきなり親殺しの場面ですよ(笑)。しかも終始監督起用に反対してきた自分からすれば映画の出来はわるい、それみたこっちゃないという気持ちもある。でも息子をかつぎだしたのは自分の周囲の人間であり、そういう息子を育ててきたのは自分だ。なのであのアレンの姿に何かを感じたのかもしれません。
はたして宮崎駿、起死回生の新境地となるか、来夏に注目です
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