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2007年1月 5日 (金)

『硫黄島からの手紙』

Iwozima☆☆☆1/2 美化せずお涙頂戴にならず、ただ慈しむようにうつしとった。
 エンドクレジットが始まった途端、私は思わず声をあげて泣きそうになりました。イーストウッドが日本人俳優を起用して描いたこのアメリカ映画は、アメリカ人だけではなく日本人の心にも響く見事な作品になっていました。
 『父親たちの星条旗』とはさまざまな点で対比になっており、また多くの重なりも持ち、そして両作品をあわせることで浮かび上がるものもあるという構造になっています。特に前者が国家と戦争、後者が家族と戦争という点に焦点をあてている点はアメリカと日本という点で興味深いものがあります。また構成も前者が回想を織り込んだ複雑な時間軸の物語に対して、回想であるとはいえ一方向の時間軸で描かれているゆえに感情移入しやすいものになっているといえるでしょう。しかしそれは決してお涙頂戴にはならず、おそらく日本人にも外国人にも普遍的にとらえられる物語にまで昇華させているという言い方が正しいと思います。『プライベート・ライアン』ですら到達し得なかった境地にまで達していることは、最後の栗林中将と二宮和也演じる兵士とのやりとり、そしてあのラストの幕切れで、はっきりと証明されています。
 渡辺謙は見事な存在感です。少なくとも彼がこの作品の大きな貢献者の1人であることに疑問の余地はありません。彼の威風堂々とした佇まいに爽やかな気持ちになりました。二宮和也も経験不足の中、よくがんばったと思います。ただし彼の役柄をもし憲兵上がりを演じた加瀬亮がやっていたら、もうひとつ深くなったような気もします。
 確かにこういう題材ですから批判はあるかと思います。ただ私が断固この作品を支持したいのは、戦争に英雄は存在せず、彼らを決して美化しなかった点にあります。我々が彼らを悼むのは戦争によって彼らの尊い命が失われたからであって、彼らが勇敢に戦ったからではありません。ゆえにイーストウッドが私たちに提示した戦争を舞台にした物語が心をゆさぶるのです。必要以上に語らずひとつひとつのエピソードを慈しむようにうつしとったイーストウッドに最大限の敬意を払いたいと思います。
(109シネマズ川崎7にて)

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