映画の著作権は誰のものか
こんな記事を書いていたのですが、その作品『映画監督って何だ!』が今度11/4からユーロスペースでレイトロードショーされるそうです。
実は『映画秘宝』最新号で黒沢清がインタビューに応じています。そういえばあったあった、『スウィート・ホーム』での訴訟問題。当然私はその中身の詳細については知る由もなく、むしろ製作者であった伊丹十三側を擁護する論調が一般的だったせいもあって、お金をめぐる裁判であるという認識を私もしていました。ところがどうもそうではなくても、「映画の著作権は誰のものか」という話だということがわかりました。
私の持論は映画の著作権は基本的にプロデューサーにあると思っています。もうちょっと専門的に言えるならばファイナルカットの権利を持っている人。なぜならばそれが映画の仕上げのところで、すべてがそこで決まるから。そうすると必然的に監督かプロデューサーということになります。それから映画は共同作業作品なので、もしファイナルカットの権利のない監督が持つのならば、他のスタッフにも均等に持つべき権利がなくてはいけないと思います。なぜなら監督が映画のすべてを決めるとは思っていないから。黒沢清の発言にある「『この映画を作ったのは誰だ?』『この作者の意図は何だ?』と聞かれたときに真っ先に頭に思い浮かべるのは監督の名前だと思います。“映画の作者は監督である”という、世間一般に当たり前のように浸透かつ共有されている価値観が、法律上では全く通用していないというのは、権利云々よりも率直に“それはおかしいだろう”という心境です」というのはある意味で正論ですが、そうとは言えない現場もたくさんあるじゃんと思うのは私だけでしょうか。そうそう『スウィート・ホーム』はつまらなかった。ディック・スミスのSFXも無駄遣いの印象。でもそれが黒沢清監督にすべて責任があるとは思っていないし(大きな要因だとは思いますが)、この作品が封印される必要はありません。
ただこのことを議論し、きちんと法制化する必要性は感じています。特に製作委員会体制が盛んな状況で、映画製作に関する責任がまっとうされないことも多すぎます。そういう意味で『映画監督って何だ!』は意味のある一石です。
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