『ドア・イン・ザ・フロア』
☆ このがっかりは許し難いクリエイターの力量不足が原因。
ジョン・アービングの「未亡人の一年」の前半部分を映画化した作品です。アービングの作品は数多く映画化されてきましたが、比較的水準作が続いただけに、この作品の出来映えはあまりのひどさには失望を通り越して怒りすら感じるほどでした。彼のファンのひとりとして、この出来映えはちと許し難いです。
アービングの小説は映像化がかなり難しい部類だと思います。というのも枝葉の整理自体はできるものの出来事だけを追っていくととんちんかんな話になってしまい、ある程度、再構築を施していく必要が他の作家のものより重要になってきます。たとえばジョージ・ロイ・ヒルの『ガープの世界』はエピソードをタペストリーのように再構築した上でアービングのエッセンスを見事に残しましたし、トニー・リチャードソンの『ホテル・ニューハンプシャー』はエピソードを完全に監督がふるいにかけていました。しかし『サイモン・バーチ』はただエピソードをつなげあわせただけなので、人物像が表面的なものになってしまい、出来映えが安っぽくなってしまいました。アービング自身が脚色した『サイダーハウス・ルール』でさえもです。つまり何が言いたいかというと、監督が演出の中に強力な意図をこめ物語を再構築していかないと、逆にアービングの色は出ないだろうということです。
その点、監督のトッド・ウィリアムズの演出は力量不足です。エピソードは並んでいますし、それぞれのエピソードはユニークで心に残ります。しかしかなり風変わりで振幅が激しいゆえに、体裁だけ整えていても、そこから人物像が浮かび上がってきません。つまり彼らはこういうキャラクターだからこういう行動をするのではなく、こういう行動をするのはこういう人物像だからだと観客が想像する余地が残っていないのです。ジェフ・ブリッジスとキム・ベイシンガーはおそらくそれなりの解釈で演じているはず。ですからこの点は致命的。2人がいい味わいを出しているだけに残念です。
長編デビューにこういう小説は選ぶべきではありません。がっかり。そんな言葉しか出てこない出来です。
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