『隣人13号』
** 残虐シーンを自己弁護して、正当化するな!
過激な描写が話題となった本作。個人的に表現に限界はないと思っていますし、タブーもないと思っています。芸術は人を挑発するものです。しかしこの作品はその範疇に入りません。なぜならクリエイターの逃げ腰を感じるのです。
途中まではかなりいい感じで進むのです。元ヤンキーや建築現場の描き方もいいし、新しい人格の登場はハラハラさせます。2人1役だってまずくはない。しかし十三の中に新しい人格がうまれた背景が鍵になるにもかかわらず、そこをスタイリッシュに表現しようとしたところがまずかった。これはアクション映画でないし、サスペンス映画でもない。虐げられた者と虐げた者との暴力の応酬を描いた作品のハズです。しかしスタイリッシュに描こうとイメージ映像を多様化したことが、クリエイターの逃げに感じるのです。それが感じられるもっとも顕著な場面はラストのアパートのシーン。最後の最後に、なぜ残虐シーンを自己弁護して、正当化しようとするのでしょう。これでは話になりません。世の中を挑発するのであれば覚悟を決めて行うべきであり、そんな勇気がないならば、こんな素材は最初から選ぶべきではありません。
中村獅童は演出する側からすると面白い素材なんでしょう。新井浩史もさすが。小栗旬は彼から十三号が派生する狂気を秘めていないのに失望させられました。発見は吉村由美。地なのか演技なのかは別にして、彼女の存在感は格別! 次の出演がみてみたい女優さんです。
暴力をよくモチーフにする北野武はスタイリッシュにぜすに自分のスタイルをうみだすところがすごいのであり、三池崇史が評価されるのは彼に迷いが感じられないところなのですから。
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