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2005年8月22日 (月)

『アメリカン・サイコ』

20050823152511 ☆☆ ヤッピー文化をおちょくるには毒が薄い。

 近年8 0年代を振り返る中で、あの時代がとても軽薄だったと論じることが多いように思います。原作は未読ですが、エリスという作家も『レス・ザン・ゼロ』から出発した人ですから、物質的には恵まれているはずなのに、心の豊かさを感じられないヤッピー世代を、シニカルに描いた物語なのだなとは映画をみても感じられました。しかしどうもそれがピンとこないのです。おそらく毒が薄いからではないでしょうか。
 同じようなテーマを扱ったデビッド・フィンチャーの『ファイト・クラブ』のような突き抜け方と比較すると、やはりこの映画はどこかおとなしくピントもずれています。でもこの作品をみてすごく印象が似ているのと感じたのは、『ファイト・クラブ』ではなく、デパルマの『虚栄のかがり火』でした。トム・ウルフの大ベストセラーであるヤッピーを描いたブラックコメディも、映画になった時に毒が薄くなってしまい、結果的に中途半端な作品になってしまいました。その半端さが似ていると感じたのです。少なくともこの『アメリカン・サイコ』には共感できる登場人物は誰もいません。でも描き手はあの主人公へのシンパシーを観客に求めるような描き方をしています。それは間違いです。本来この作品はもっとコメディとして撮ってよかった素材です。それがどこかでボタンを掛け違えたように、描写が上滑りをしています。あのラストの現実を認識できないもどかしさ。それが効いてこないのは、そこまでの行動に白昼夢のような非現実さを与えられなかった演出家の力量不足です。
 クリスチャン・ベールはそういう意味では最大のミスキャスト。努力は認めますが、ちょっと違う感じがします。それこそ今でいうと「フレンズ」に出ているマット・ルブランクとかのようなコメディ俳優がやっていたらと思います。
 虚無感を描写から浮かび上がらせる難しさ。『ルールズ・オブ・アトラクション』同様、エリスの映画化は本当に難しいようです。この作品もその殻をやぶることには失敗しました。

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