淀川先生をめぐる珍記事
たまたま古い雑誌を読んでいたら、その中に珍な内容を発見しました。2002年「週刊新潮」11/14号。見出しは
没後4年「淀川長治さん」のタブー「ホモ人生」の真実。寄稿者は映画評論家の白井佳夫さん。
淀川先生のホモ説は根強い噂として残っています。終生独身だったこと。やたら取材相手の手を握りたがったこと。また記事にも出てくるが『太陽がいっぱい』『アラビアのロレンス』のような名作と呼ばれている作品に含まれている「ホモ」的な描写に関して、鋭い分析をすることなどがホモ説に信憑性をもたらす事実として語られます。私はもちろん真実はわかりません。しかし私はどちらでも構わないことです。少なくとも性的な嗜好で、その人の業績の価値が変わる物ではないと思いますし、むしろそういうセンスのある人の方が芸術の世界では、才能を発揮しやすいと考えています。
しかしどうしても気になることがあります。それはなぜ白井佳夫氏が、記事を寄稿したのかにあります。私には白井氏の意図がわかりませんでした。白井氏はかつてキネ旬の編集長をしており、キネ旬の充実期を作り出す一端を担っていた人です。ジャーナリスティックな視点をきちんと持っていて、著作にも読み応えのあるものが多いです。もちろん週刊新潮の意図もあるでしょうから、白井氏の原稿とは本来の意図とは違う物だったのかも知れません。しかし白井氏が書いた記事としては、この思い出話に毛が生えた程度のものはあまりにもレベルが低いと思いました。いまだにホモであることがセンセーショナルな扱いになってしまうという部分にも納得がいかない部分を感じると同時に、映画ジャーナリズムの衰退を、またここで感じてしまいました。
近年日本では映画人に関する評伝というものが減少しています。取材によって映画人をきちんと分析するという作業をする映画ジャーナリストは壊滅状態です。淀川先生を第三者の目できちんとみつめるジャーナリストは登場するのでしょうか?せめて彼の残した原稿類をアーカイブとしてまとめる作業をしてくれる人が現れることを待っているのですが・・・・。
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