2019年9月18日 (水)

有希乃イベント(昭島モリタウン 東館1F光の広場)

 先日、ハリコンでマッツ・ミケルセン氏と念願の対面を果たしたその日、実は同時間帯にお台場でとても気になるイベントが開催されていました。前回紹介した有希乃さんのインストアイベント。


行きたかったなあ・・・というのが前回。その後、有希乃さんのイベントが数カ所であるということが告知されていました。

行っちゃいました、昭島に。
(最近、この展開が多すぎて反省)

 だってお台場行けなかった(正確に言えば行ったけど聴けなかった)のが、やはり相当悔しくて・・・。
 昭島なんてMOVIXの開館直後に一度行ったきりだなあ、と思いながら会場となるモリタウンというショッピングモールへ。うん、お台場のタワレコとは違う何というかアウェー感というか・・・。開演前まではちょっとだけ恥ずかしかったです(汗)。あっ、有希乃さんだ! 天文館の時とは違ってすごく大きく見えました。全国デビューオーラ?! いやヒールのせい??(笑)と思っていると、サウンドチェックをされて、いよいよスタート。

ちなみに今日のセットリストお台場と同じ。アルバム6曲中5曲の大判振る舞い!
1:がんばれなくなっちゃった
2:飛行機
3:スーサイダー
4:きっと君なら
5:とゅもろ

とりあえず感想を・・・。
・スゴイ! 始まって会場の空気が変わりました。会場のアウェー感に臆さない有希乃さん、さすが。自分も落語をやる立場になって、会場を味方につけるというのはとても難しいことを痛感しているだけに、すごいと思います。
・うん! やっぱり有希乃さんの歌、本当にいいですねぇ。CDもよいけど、ライブだとまた格別です。
・「飛行機」、CDと印象が変わりました。ライブ映えする曲ですね。アルバムが全曲バンドサウンドなので、生演奏だとまた違うのでしょうね。24日の渋谷(この日は行けない!)どんな感じになるのでしょう。 
・「きっと君なら」 ちょっとうるっと来てしまいました。天文館ではじめて聴いて。大好きな曲になって。それが全国発売されたCDに収録されて。目の前で有希乃さんが歌ってて。それをまた、ここで誰かがこの曲を受け止めて好きになって・・・、そんなこと考えてたら年甲斐もなくジーンとしてしまいました。
・「とゅもろ」すんごくかっこよかった!! いやー、これはライブで聴きたいでしょ! 有希乃さんの生ギター前面オシで聴きたい! 何よりバンド生演奏で聴きたい!(ベースラインがさりげなくカッチョイイ)
・私が大好きな「おやすみなさい」がないのは仕方がないですね。いつかアコギ1本で聞きたい曲です。
・「かわいいわね」「有名なの?」と会場にいた年配の女性の方たちの会話。有希乃さんのMC「ここで聴いたことが自慢できるように成長したい」がかっこよかった。
・演奏後、ご挨拶させていただきました。お話しできて嬉しかったです。CD(3枚目!)サインいただいちゃいました。カンバッジもやっとゲットしたぞー。
・しまった。全然写真を撮ってなかった・・・。ちょっと悔しい(汗)。

キザな書き方をするならば、音楽は出会いです。

 私の心と体を構成している「モノ」の一部分は、たくさんの人がつくりあげた芸術からできていると思います。映画、音楽、小説、そして落語が多いと思いますが、なぜそれが好きなの?と言われても、そしてどうして好きになったの?と言われても、説明は難しいです。
 自分もあの日、鹿児島にいなければ。天文館で白くまを食べようとしなければ。帰り道に別のルートを歩いていたら。有希乃さんと「きっと君なら」には会えませんでした。そして今は、有希乃さんの歌をまた聴きたいなあと思っていますし、「きっと君なら」だけでなく、有希乃さんの歌声や曲の素晴らしさが、少しでもたくさんの方に届くといいなあ、と心から願っています。だから今日、偶然にも昭島にいて、有希乃さんを聴いた方の中で、きっと私と同じようになる人がいるんだなあと思うと、それってスゴイことだよなと1人うんうんと頷いちゃってました。
 それから有希乃さんと私の長女はほぼ同世代です。大学生で自分の進路に向けての活動だったり、部活(ラクロス部)だったり、もちろん大学生の日常だったり、娘もまた夢に向かって日々を過ごしています。ルックスもキュートな有希乃さんの歌っている姿をみていて、「かわいい!」というより「がんばれ!」と応援したくなるのは、そういう部分もあるのかもしれません。

 夢に向かって歩いている有希乃さん、これからも応援してます。

さっ、次は高円寺か??(笑)

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2019年9月15日 (日)

有希乃さんとの出会いと、1st album「とゅもろ」のこと

 鹿児島遠征ではいろんな思い出があります。白くま、知覧、中津、宮崎地鶏、そして台風と新幹線!(笑) そんな中のひとつに、あるシンガーソングライターの方との出会いがありました。

名前を有希乃さんといいます。
「とゅもろ」の画像検索結果

 2泊3日の2日目、台風上陸で予定が大幅に狂って疲れてしまった8月6日の夜。こりゃ白くまアゲインだなあとホテルから「天文館むじゃき」に向かって夜、散歩してたら、なんと浴衣の女性がギター抱えて地べたに座り込んでいました。まあ、それだけでインパクト充分(いろんな意味でですが)。まだ始まりそうになかったし、どこかの高校生の子(すごく小柄だった)かなあとか思いながらそこを離れ、まず白くまで癒やされ(汗)、その帰り道。同じ道を帰っていると先ほどの子が歌っていました。

 ところが予想に反して(エラそうでごめんなさい)歌声が抜群にいいのです。のびのび歌っているけれどアマチュアのストリートミュージシャンにありがちな、我流な感じじゃない。ひょっとしてプロ?と思いながらフライヤーを手に取ると。説明を読んでもよくわからなかったのですが、少なくともアマチュアではないことはわかりました。そうこうしているうちに次の曲になったのですが。これが・・・すっごくよかったのです。口笛から入り始めたその曲(あとで「きっと君なら」だとわかったのですが)、これがあの時間のあの場所の自分に、すごくはまった曲でした。ホテルに帰って早速検索。ライブ映像の中にありました。次の日も列車移動だったので、さっそく旅のお供でリピート。メロディがいいし、歌詞はまだ粗削りで青いところが残ってるけれど、歌い方が素直だから、イヤミにならない。とても気に入りました。ただあまり他の曲は印象に残る物は正直全部というわけではなかったです(カバー曲も合う合わないの落差が大きくて)。

私自身の話ですが、音楽とはずいぶん距離ができてしまいました。新しいアーティストを知る機会は減少し、CD購入もダウンロードも全然しなくなりました。ましてや心動くことなんてほとんどなくなりました。馴染みのある曲しか聞かなくなってしまっていて、昔はもっともっと貪欲に音楽に触れていたのに。そういうのってオヤジじゃんって若い時は軽蔑の対象だったのに。でも変わったのは自分だけじゃないと思っています。音楽の世界も多分大きく変わってしまっている。自分が若い頃にあったバンドブームは、その終わり方はかなり残酷だったと思っているし、そもそも息長く活動しているアーティスト自体ばかりではない。自分の周囲で音楽で勝負と夢見ていた人間は誰も物にはならなかったし、この人たち凄いかも、と思った人もそうでない人も、自分が好きだったミュージシャンが全然売れなかったということもしばしば。それに自分が好きなタイプの曲が主流にならないことだって多い。ましてや好きだったアーティストが変節してしまうことも多い。誰かの劣化複製、誰かの後追い、ただの商品。音楽にはたくさん人生を豊かにしてもらったけれど、同じように傷つけられた気もしています。だから余計に若いアーティストを応援する気にあまりなれないのかもしれません。

だから。ちょっと言い訳めくのですが、CDの発売前予約とかを今回はしませんでした(今となっては後悔しています(泣))。そこまでの「興味」なのか確信が持てなかったし、旅の思い出のままで、よい気がしたのです。あの日は旅先だったからかもしれません。心が解放されていて、いつもよりも少し敏感に反応できただけ。ルックスもちょっといい感じのストリートライブの女の子をみた、そして気に入った曲が1つ増えた。それでいいやと思ったのです。

 気が変わったのは収録曲のアルバムタイトルナンバー「とゅもろ」を聴いてからでした。
 
 あら? すっごくいいじゃん! YUIの「again」とかを彷彿とさせるところはあるけれど、あそこまで背伸び感はなくて、アレンジもうまくて、一言で言うなら聴いていて心地いいし、口ずさみたくなる。詩もニヤッとさせられたり。
”掬ったものは全部飲み込んだ けれども吸収できるかは別の話だ"
ちょっとオモシロいですよね。東横線で寝ちゃったお隣さんに寄りかかられるのは私も実体験であります(汗)。

 アルバムやっぱり買おう!と思い直して入手しました。とてもいいアルバムでした。オープニングにふさわしい「とゅもろ」、アレンジ違いの「きっと君なら」(やっぱり名曲!)もよかったのですが、個人的に秀逸に感じたのは最後の「おやすみなさい」でした。ここまでわりと伸び伸びさんなボーカルの歌で来たので、この歌い方は不意打ちを食らってやられてしまいました。自己紹介代わりには充分な魅力のあるアルバムです。有希乃さんにとって、今回の「とゅもろ」は大きな挑戦なのでしょう。ツイキャスで「何かアルバム全体でテーマとかはないけれど(中略)作ってからしばらくしての、自分のチェックをクリアした曲」という説明をされていましたが、「きっと君なら」だけでもプロという世界で自分の「歌いたい」と客の「聴きたい」の狭間できっと奮闘されているんだろうなあと思ってしまいました(天文館のアコギバージョンの方が私は好きです(汗))。きっとここの楽曲たちがライブで披露されて、磨かれて、そこからまた新しい楽曲ができて、動画とかのネット配信で、たくさんの人に触れられて。若いアーティストの挑戦っていいですね。「音楽って楽しいんだよ」「私の曲、聴いてくれる?」みたいな初期衝動があって。そういう気持ちで音楽に接することができたのは、久しぶりだった気がしますし、同世代への応援というよりは、後に続く世代を見守りたい応援したいという感覚だと思います。有希乃さんのこれからの挑戦を応援したくなるアルバムでした。

 映画ほど目が肥えているとは言えませんので(そっちも大したことはないですが)、信頼度低めでピント外れじゃないの?と思われるかもしれませんが、ぜひ一聴してみてください。少しでもアンテナに引っかかったら、生歌にふれてみてください。(今月から来月にかけて機会がありそうです)

 しかし今日のインストアライブ行きたかったなあ(行けなかった理由は後日)

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2019年8月28日 (水)

『蟹の惑星』

0005 ☆☆☆ 蟹がスゴイ。干潟は浅いが深く、人生も深い。
 もうこの題名でつかみはOKですよね。だって『蟹の惑星』ですよ! 淀川さんだったら「さあ、かにのわくせい、かに、かに、このかに、なんでしょうねぇ・・・」なんて名調子が続くかも知れません(笑)。題名とチラシをみて、みたい!となっていた1本は、視覚的なおもしろさに充ちた秀逸な作品となっていました。でもそれだけではなく、『東京干潟』と共にみることで人間への深い洞察力を備えた豊かな作品でもありました。

 すごかったのはやはり蟹の映像です。単純にすごかった! 花、虫、動物、それぞれに面白さはあると思うのですが、蟹が被写体としてとにかく魅力的。美しさ、かわいらしさ、グロテスクさが渾然一体となって、まるで『スターシップ・トゥルーパーズ』のバグたちみたいで、動く動く。そしてそれをきちっと魅力的にとらえています。小さな物を大きく写すだけでも映像はぐっとオモシロくなりますが、とにかく今までみたことがないものばかりでした。よくぞ、これだけ映像に収められましたね!と驚くばかりです。予算規模的に必要最低限のセットアップの中で、レンズなどの機材のセレクトや、撮影方法など技術的な裏話は尽きることがないのでは、と思うほどすごかったです、間違いなく労作です。

 さて。本作で意見が分かれるかも、と思ったのは蟹の観察をしている吉田さんの存在です。この映画に関しては吉田さんの比重のかけ方が難しかったと思います。吉田さんの解説が加わることでわかりやすく、観客の知的好奇心を刺激するという点も事実ですから、入るのはおかしくない。でも蟹の映像の方が圧倒的に魅力的なので、観客の立場からすると、吉田さんより蟹がみたい(汗)。ご自宅の様子とお孫さんのエピソードは不要と感じる人はいると思います。ただ、もし『蟹の惑星』が吉田さんをただの解説者にしてしまったら、これは干潟の映画ではなく、蟹の記録映画になります(それはそれで魅力的な気はしますが(汗))。ではなぜそうしなかったのでしょうか。

 やはり本作は『東京干潟』と一緒にとらえなくてはいけないのではないか、と思いました。というのも『東京干潟』をみた後で、私の中の疑問として浮かんでいたある点が、『蟹の惑星』をみてあっさりと氷解したのです。『蟹の惑星』が驚くほど『東京干潟』と表裏一体となっていたことで、監督の狙いがくっきりと浮かび上がってきました。端的にいってしまえば、しじみが蟹であり、吉田さんがしじみのおじいさんなわけですが、ただ比重の掛け方が違う。『東京干潟』の主役はおじいさん、『蟹の惑星』は蟹。じつはこの比重の違いもカギになっています。

 芸術表現の中には、いくつかを組み合わせてとらえることで、意味が変わってくるものがよくあります。映画の場合にも、もともと関連があったり、結果的に関連することになったり。有名なところではイーストウッドの硫黄島2部作がありますが、あれは同じ時刻の同じ場所を視点を変えて描くというアプローチで硫黄島での激戦を描き、それでいて実は描こうとしている戦争の虚しさは共通していて、それが1本で描くよりも、よりくっきりと浮かび上がっていました。村上監督はさまざまな生き物が共存する干潟という不思議な不思議な場所をとらえるにあたって、何よりその多面性をとらえたかったに違いない。監督は『東京干潟』と『蟹の惑星』がもともとは1つの作品で構想していたと語っていらっしゃったのですが、でもその多面性をとらえるには1本の作品ではない形の方がよいと考えたのだと思います。(最初はオムニバスっぽいものをというのも頷けました)。

 疑問だったのは、自然を題材にしたドキュメントにありがちな、干潟保護という観点での自然保護を声高に訴えるようなメッセージ性が『東京干潟』には希薄だったことです。というのも明らかに干潟を危機にさらしているのは人間ですから(汗)、そちらに怒りの矛先が向いても仕方がない題材です。でも村上監督の狙いはそこではないのかな、までは思っていました。しかし今ひとつ、おじいさんにフォーカスした構成に監督の狙いまでは『東京干潟』だけでは私にはみえてきませんでした。
 両作をみおえて、自然と人間とどちらにフォーカスしたかが大きな違いなのですが、逆に共通点はやはり2人のおじいさんです。別の作品で並行して描くことで、監督が作品の中で人間をどうみつめているかをはっきりと浮かび上がらせています。それは経済的なものとか能力の優劣とかではなく、その人がどんな生き方をしているか、という点です。2人のおじいさんが抱える現実の違いはやはり大きく感じます。もし1本の作品でやっていたら、どうしても比較が生じるでしょう。でも2作にわけて作品内で描く比重のかけ方も変えたことで、観客側の受け取り方が変わるのです。キャットフードや道具が並ぶ小屋と、蟹の資料がずらりと並ぶ部屋が同じに見えた。孫の話と猫の話が重なった。どちらの生き方がいいとかじゃなくて、どちらのおじいさんも「元気かなあ」なんて思ってしまうのです。
 人間から虐げられたネコたちや、小さな蟹たちの姿にフォーカスしながら、干潟を通して干潟にいる2人のおじいさんと知り合うことができた。その姿を見つめながら、できれば、しじみもネコも蟹も、もちろんあの2人のおじいさんたちも干潟とともにこれからも生きていけますように、という祈りにも似た監督の願いがくっきりと浮かび上がってきます(『東京干潟』のクライマックスでの祭り囃子は、『蟹の惑星』をみていないと全く受け取る意味が違うと思います)。そしてそれをみた私たち観客も、どちらのおじいさんのような人生にもなる可能性があるけれど、きっと誰とも違う人生をこれからも歩んでいく。そんなたくさんの人たちがまるで干潟のように共存できるといいなあ、と願うのです。このような様々に多重化した面白さが『東京干潟』と『蟹の惑星』両作で生み出される真骨頂なのです。

 実に豊かな時間を過ごすことができた、みてよかったと思える2作品でした。これからも上映の予定があるそうです。その時には紹介したいと思いますので、ぜひ機会をみつけてご覧いただければと思います。(ポレポレ東中野)

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2019年8月24日 (土)

『東京干潟』

0001_20190825103701 ☆☆☆ 重なりからみえてくるものの重み
 待望の村上監督の新作は、実に見応えのある力作でした。しかし私が事前にイメージしていた穏やかなものだったかいうと、そうではなく、むしろいろんなものが小さなトゲのように突き刺してくる鋭さも持ち合わせている作品でした。

 このしじみのおじいさんの行動は昨今のポリコレ的な発想でいけば3秒でツッコみどころ満載かもしれません。住居も、しじみ取りも、ネコの保護も。台風で水浸しになるなら引っ越せばいい、という自己責任論も容易に出てくることでしょう。でもおじいさんの行動が正しいかどうか、意味があるかどうか。そんな物差しではなく、そこに命があることを受け止めることで始まる営みを描くことで、その重みをこの映画は見つめています。

 村上監督の過去作『流 ながれ』も、自分の興味で始めた行動が、当人も思ってないような意義に変質していく過程を誠実にとらえていました。本作でもしじみのおじいさん当人は、自分の生き方にはそれほどのものはないと思っているのですが、少なくとも凡百のよくある生き方でもなく、さらに本当に絶句するような過去もあるという人物が中心となっています。そしてこれも『流 ながれ』ですでに萌芽となって現れていましたが、村上監督はそれを誇張しません。悲愴感も不幸の押しつけも感動的な空気もありません。これは大きな特徴だと思います。これはインタビューをする村上監督の声が、一般的なドキュメンタリーよりも多めに入っていることも関係していて、孤立感から来る寂しさが希薄だったのは、監督との関係性を見せていたからだと思いました。

 『流 ながれ』とは大きく違っていたことが2つありました。ひとつめは撮影です。この映画は監督自身がカメラを回しています。フィックスでどっしりと構えた落ち着きは同じですが、今回は実に印象的な構図が多くとらえられていました。背景に映り込むのは羽田や川崎市の臨港地域ですが、この背景に大きな意味があります。川崎市は今でこそ川崎駅前や武蔵小杉の大型商業施設の成功もあって、住みたい街にランクインするところもあります。しかし南北に長いこの市は南部と北部ではまったく街の性格が違い、特に南部は再開発が進んで大型集合住宅が増えているとはいえ、埋め立て地に工業地帯がひろがり、在日の方や外国籍の方、低所得者層も数多く住んでいます。路上生活者の姿も珍しくなく、時にそういった犯罪(多摩川河川敷での少年犯罪もこのあたりで、記憶に新しいですね)のニュースが世間を賑わせることがあります。また2016年に公開され、観た人の気持ちをどん底に叩き落とした平山夢明原作の映画『無垢の祈り』のロケ地がこのあたりの地域で、もう私としては、その物語にあまりにぴったりな空気だという事実が逆に辛くなったという、そんな独特の雰囲気があります。でも。表には出てこないかもしれないけれど、ここは私たちの繁栄を影で支えてきた人たちの町だともいえます。飛行場や発電所、工場のように住宅地には邪魔な物。けれども我々には必要不可欠な物が集められている。そこがおじさんのしじみ漁の背後に何度もうつってくる。そんな重なり方が雄弁に『東京干潟』という映画で村上監督が紡ぎたい物語を語っています。またナイトシーンの見えない暗がりをしっかりと画で表現した点も効果的でした。
 もう1つは音声。背景の環境音がこれまた実に印象的です。ただ集音マイクでそのまま拾った感じではなく、きちんと整音されて、聴かせたい部分に音がフォーカスされているので、これが映像と重なった時に、その時の映像の印象を増幅させています。セミの鳴き声、飛行機、ヘリコプターや工事の音。あとで監督のインタビューを読むと、やはり神経を使われていたことがわかったのですが、干潟やおじいさんの家の空気感にリアリティがあったのは、観客が村上監督と共におじいさんと一緒にその場にいた状況のように思わせる部分で、これまた大きな意味があったと思います。

 さて私が前述したトゲはいったいどこにあるのかなのですが。この作品は「重なり」で表現されていることを観客が自分の思いを巡らせる映画だと言えます。映像や音声での演出が示すように、多くの要素が複合的なメタファーとなっているのです。したがって、トゲは表出しているのではありません。まるでしじみ漁を手の感覚を使いながら行うように、村上監督の演出によって、観客がその演出意図を受け止めるという中で、こういうことなのかな、という気づきが隠れているように思うのです。
 例えばネコなのですが、一番幸せな状況というのは、あのネコたちがいないことなのです。なぜならあそこにいるネコたちは捨てられてしまったネコなのですから。またネコはとても勝手気ままな存在なので、ひょっとするとおじいさんのことをネコはえさの手段程度にしか考えていない現実もあるかもしれません。けれどお互いが支えになっている現実は間違いなくある。そしてその現実が日常をつくっていて、その日常は私たちからはあの多摩川の景色の中に表面的には隠れているようにみえています。おじいさんは片眼の視力はほとんどありません。けれどその事実は遠方から接している時には気がつきません。そもそもその理由すら気にかけない。でもクローズアップと俯瞰が映画の中で「重なり」を繰り返していくうちに、私たちは気になっていく。橋脚の工事をみておじいさんは工事の過程をすらすらと説明する。おじいさんの過去と結びつくだけでなく、おじいさんにとってはそれがもたらす未来をみている。おじいさんの雇っていた人たちと保護したネコ。おじいさんが作ってきた建造物としじみ。おじいさんの小屋と集合住宅。長い時間をかけて生まれた干潟と一瞬で破壊する工事現場。多くの「重なり」が、観客の中におじいさんへの「へえ!」と「すごいなあ」と「大丈夫かなあ」という感情を複合的に呼び覚ますのです。クライマックスの台風部分で(非現実的な)祭り囃子が響くことが強く印象に残ります。村上監督がこの状況をポジティブに見つめ、おじいさんが困難に負けずにこれからも生きていてくれますようにという願いのように祭り囃子が聞こえてきます。

 残念だったのが構成の部分で、特にテロップが多用されはじめた後半部分で作品のリズムが変わってしまった気がしました。こういう作品で緩急をつけるのは難しいと思うのですが、映画としてみた時に、河口部での工事がはじまったあたりから、駆け足な感じになってしまったのです。全体のバランスとしてみた場合、紹介としての前半、おじいさんの人生の中間、そして工事が始まった後半部分で、後半部分の印象が他の部分より希薄になってしまった気がしました。あそこでもう一度、それでも変わらぬおじいさんの日常でもよし、変わり始めた村上監督の関係でもよし、じっくりと流れるようなテンポがあった方が台風のところはより効果的だった気がします。

 私たちは現実の中で見えていても気がつかない物がたくさんあります。この作品はそこにスポットを当てながら、「重なり」からみえる重みも伝えています。そして私たちに違う物の見方を示唆して、ちょっと立ち止まる時間を与えてくれます。シネコンで公開される映画群に紛れ込んで気づかずにいるのはもったいない、小品ですが豊かな作品です。おじいさん、ネコ、干潟、どこが入り口でも構いません。けれどみおわったら、きっと次にみる景色への印象は変わっているはずです。(ポレポレ東中野)

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2019年8月 5日 (月)

『アポロ11:ファースト・ステップ版』(鹿児島市立科学館)

 『アポロ11』についてのことは、前回のブログ記事を読んでいただいて。その中で驚いたのが70ミリフィルム映像がアーカイブで発見されたという事実。そもそも機動性を考えたら記録映像で70ミリフィルム(正確には65ミリフィルムですね)で撮影したなんてビックリですが、それだけの価値があると予算も割かれたのでしょう。一体どんな映像になっているのかなあと思ったのですが、まさかまさかの日本公開。しかも鹿児島市立科学館では70ミリフィルムによるオムニマックス上映というニュースが! これは行くしかありません。が、でも遠いなあ・・・というのが前回まで。

鹿児島、行っちゃいました!(笑)
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久しぶりに映画のための遠征です。(もうそれだけで大興奮です。)
まず立地ですが(あくまで旅人向け)鹿児島中央駅からだと徒歩は辛い距離です。公共交通機関利用となると鹿児島中央から市電、バスなどでとなります。トータルで30分ぐらいみておくとよいのではないでしょうか。ちなみに火曜日が休館、さらには平日は本作の上映が1日1回(土日祝のみ16:10の回があり)なので気をつけてください。
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 科学館自体はあまりゆっくりとできなかったのですが、オーソドックスな感じの施設でした。さあ、いよいよ5階の宇宙劇場へ。ロビーには作品についての解説類が。
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 さすが、科学館な展示です。おおっ、なんと映写室がガラス張りになっている!
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 おおおっすごい! 私も何回かはみたことがありますが、今となっては国内でも貴重な施設です。大興奮している私ですが、一緒の回をみる予定の親子連れは、同時開催の展示関連で同じく映写室内の並べられていた虫かごの昆虫たちにガラス越しに大興奮(笑) 映写室内がきっと空調が効いていて過ごしやすいからかなあと察しましたが、君たち、文化とは昆虫も大事だが、失われゆくものの方が価値はあるぞ、きっと(汗)。ほら、これがプラッターで、そこに巻かれてるのがフィルムで、ねっ!幅が広いでしょう?!と力説したくなる気持ちをグッと抑えます(大汗)。上映後には映写技師の方の作業の様子も。お疲れ様でした。(凝視してスミマセン(汗)。)
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入り口には過去の大型映像作品のポスター類が(入場時にしかみられないのはもったいないです)掲示されていました。

 さて上映スタート。かつての映写室とおぼしき窓が完全に目隠しされていたので、一体どこから映写するのだろうと思っていたら、ドーム中央部のプラネタリウムの投影機が降下し、ぬわんとすぐ席の隣(ドーム中央部中央通路沿いのオレンジのところ)から上映用の映写ガラス部が出現! 映写機の音が思いっきり聞こえます。まあ気になる方にはかなりノイジィだと思いますが、個人的にはあのカタカタとしたフィルム映写機の音すら愛おしく感じます(汗)。まずは予告があって、字幕なしな点からも、もともとのプリントについていたのかなあと推測。これはいわゆる通常のIMAX画角で、まあ、こんなもんかあと思ったら、ここからが本領発揮。本編はいきなりの全天周ドーム映写へ。
驚き、しかなかったです。
この質感、すっかり忘れていました。IMAXのフィルム版をみるのはいつ以来でしょうか。でもそこでみたのはやはり驚愕の映像でした。この映像の情報量はすごい。これだけ大きな映像なのに破綻がない。ウソっぽくない。確かに場内はシネコンから比較すると明るめだし、コントラストや先鋭感には欠ける部分はあります。ドームに投影なのでドーム壁面の継ぎ目の目立ち方は一般的な映画館とは比較にならないぐらい目立ちます。音響も悪くはないですが、最先端とは言えません。でも。圧倒されます。特にサターンロケットが打ち上げられる時のショットは、画質は事前情報から考えても65ミリカメラで撮影されたものではないか思われましたが、一緒に私も見上げている感覚になりました。この没入感はこれでしか味わえないでしょう。

 実はラージフォーマットと呼ばれる上映形態に関しては、IMAXやScreenX、ドルビーシネマなど、近年さまざまなトピックがありました。また70ミリプリントによる上映という括りで拾っただけでも、注目すべきトピックが多かったのです。例えば海外ではC・ノーランやQ・タランティーノが撮影時からのこだわりで上映時にも70ミリプリントによる上映を希望したり、定期的に上映している映画館があったりしています。一方国内ではフィルム上映がどんどん少なくなり、70ミリプリントの上映可能館が絶滅状態である中、国立映画アーカイブ(導入当時はまだフィルムセンター)が70ミリ上映設備を稼働できるようにさせたことは大きなニュースでした。2017年、記念すべき上映1作目の『デルス・ウザーラ』はプリント自体の状態の良さに驚愕しましたし、2018年の『2001年宇宙の旅』は前売りがプラチナチケットと化したために、当日券を求めるために早朝から並んで国立映画アーカイブで鑑賞し、これもまた素晴らしい経験でした。ただ『2001年宇宙の旅』はもちろん映像は凄かったけれど・・・でも私は、後で成田HUMAXシネマズでみたIMAXデジタル版の素晴らしさを上にとりたいのです。確かに画調は違いました。70ミリプリント版の宇宙の表現はおおっと思ったし、フィルムってこうだよなあとも思ったけれど、やはり70ミリプリントでの映写はあの国立映画アーカイブ程度のスクリーンサイズで上映するためのフォーマットではないと思うのです(もちろん上映自体は快挙で、この試みは諸手をあげて大賛成だというのはあらためて述べるまでもないですが)。だって32インチモニターで2Kと4Kの比較をブラインドでやってみたら、どっちがどっちだか相当迷うと思います(汗)。70ミリフィルムの真価は大型スクリーンでの上映で、さらに発揮されるのです。

 そんな中での今回の上映は間違いなく貴重な体験でした。オムニマックスでの上映というのも大きかった。過去に数回体験している中で、一番強烈だったのはやはり筑波万博の富士通パビリオンで上映された「ザ・ユニバース」でした。あの大口孝之さんもこれで人生が大きく動いたとおっしゃってました。この没入感はオムニマックスという上映形態ならではです。しかし全天周映像でオムニマックス(IMAXドーム)のようにフィルムで稼働しているところは現在ありません。有名なところでは浜岡原子力館も現在はデジタル素材のみの上映になったようですし、北九州スペースワールドのギャラクシーシアターも2017年で閉館になっています。まあ多分コストパフォーマンスとか作業効率でいったら、あのとんでもない総重量になるフィルムでいくならばIMAX2Kデジタルの方を選択するのは仕方がないと思います。でも。本作のデジタル素材をまだIMAXドームで鑑賞していないので断言はできないのですが、今回の上映をみると、70ミリプリントにアドバンテージがあることを再認識しました。実際近年のDCPの優秀さは素晴らしいと思います。でも大画面でみた場合、それは物の輪郭表現だったり、色味だったり、漆黒の深さだったり、細かい物差しをあげていくと大きな差ではないのかもしれません。でもトータルのパッケージとしての「画質」でいうならば、私が考える以上に情報量に大きな差がありました。

 私自身、IMAXフィルム上映に限定してもいろんな思い出があります。IMAX上映専門館としてオープンしたタカシマヤタイムズスクエアの東京アイマックス・シアターでみたジャン=ジャック・アノー監督のIMAX史上初の実写ドラマ『愛と勇気の翼』(しかも当時は珍しい液晶シャッターメガネによる3Dだった)。凄まじい創作過程で知られるアレクサンドル・ペドロフの『老人と海』。通常版とは完全に別物だった『ファンタジア2000』。あの真賀里文子さんが作った全編ストップモーションアニメ(!)のIMAX作品『天までとどけ』。そしてわざわざ大阪までみにいった『U2 3D』。みんな大きい画面での上映に意味がありました。『U2 3D』なんてデジタルの通常上映版とは別世界で、メンバーと一緒に演奏したような臨場感があって感動が段違いでした。迫力とか臨場感とか没入感とか、いろいろな表現ができると思いますが、こういう家庭では実現できないスケールとクオリティがあるということは、結局「映画館にみにきてよかった」という言葉に尽きると思うのです。
 もちろん誰にでもすすめるものではありません。わずか45分、中身は真面目なドキュメンタリー、しかも鹿児島(神奈川在住の私としては、これが動機の1つで鹿児島に出かけたというのは、なかなか理解してもらえないことの方が多いですね(汗))。映画好きな方でもこういう方面に興味がある人にでないと、という条件付きではあります。でももし、あなたが映写機の話でわくわくするならば。70ミリとかシネラマとかIMAXという言葉で心躍るならば。国立映画アーカイブでの70ミリ上映で感動したならば。あなたにとって忘れがたい映像体験となることでしょう。そのぐらい素晴らしかったです。ぜひご自身の目で確かめてみてください。

 

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2019年7月 6日 (土)

『アポロ11:ファースト・ステップ版』上映情報

夏は楽しみな作品がいろいろあとありますが、今回は久しぶりに大型映像での期待の新作です。

『アポロ11:ファースト・ステップ版』

月面着陸から50周年と言うことで制作されたドキュメンタリーで、アメリカではこの3月に公開されたのですが、なんと全米興行成績ベストテンに限定公開にもかかわらずランクインしたという・・・これだけでも期待は高まろうというもの。日本公開はしないだろーなーと思っていたら、まさかの公開決定! 博物館科学館限定の短縮版でもいい! やったー!と大喜びでした。さらに! 私のテンションをあげたのが、とあるツイートで「本作はIMAXドーム(通称オムニマックス)版での上映がある」という情報をゲットしたこと。うっそー、日本では絶滅したのでは?と勝手に思い込んでいましたが、本当にありました。鹿児島市立科学館では、なんと70ミリフィルムでの上映。そこまでくると他の場所での上映はどうなってるのだろうと思って、各所に問い合わせてみました。お返事をいただいた関係各位の皆様、ありがとうございました。

Ap11fsj

記入した情報は7月6日までに回答いただいた情報をそのまま載せています。ですからデジタルとなっていても、4Kかもしれませんし、全天周素材かもしれません。また音声が日本語、英語どちらかもはっきりと回答いただいていないところが多く、正直よくわかりません。なおさいたまと広島は素材未着で確認できていないそうです。

<わかったことの整理>
映像:4K上映素材あり(アスペクトは2.20:1)
音声:英語(日本語字幕版) 日本語(吹替版)
どちらも5.1chバージョン(2ch再生になるところも)
※IMAXデジタルだと12chバージョンもあるようだ
上映時間:47分
上映フォーマット
・IMAX 70mm(鹿児島だけだ!)
・IMAX 4Kレーザー&2Kデジタル(日本はなし)
・4KDCP(日本はほとんどこれかと)

神奈川県在住の私には鹿児島は遠すぎるなあ。けれども近辺で大型映像を体感できるところが微妙なのも現実。さいたまが一番設備的には新しそうだけれど、1日限定とは厳しい。と思っていたら完全版の国内公開決定! やったよ!93分版だし、109シネマズが入っているからIMAXデジタル、いや大阪なら4Kデジタルだね!と妄想していたら、そもそもこっちにはIMAX版の国内上映がないらしい(涙) さあ、どうする、 私! 久しぶりの遠征か??

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2019年4月27日 (土)

テーマ別に薦める映画

不動坊歌宴さんに捧げます! GWでなくてもいいけれど、私がテーマ別に薦める映画です。

<ゴキゲンになれるぜ!>
ブルース・ブラザース
プロジェクトA
裸の銃を持つ男
雨に唄えば
張り込み

<まるで落語?>
カイロの紫のバラ
グランド・ブダペスト・ホテル
チャンス
赤ちゃん泥棒
街の灯

<芸術家は破天荒? 落語家も?>
オール・ザット・ジャズ
セッション
バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)
落語物語
しゃべれどもしゃべれども

<生涯消えない衝撃を>
ミリオンダラー・ベイビー
ぼくのエリ 200歳の少女
ミスト
縞模様のパジャマの少年
ジョニーは戦場へ行った

<青春は一筋縄ではいかない>
いまを生きる
イントゥ・ザ・ワイルド
ヘザース
ガタカ
アメリカン・ヒストリーX

<クラシックスにはそう呼ばれる理由がある>
サイコ
十二人の怒れる男
モダン・タイムス
未来世紀ブラジル
ダークナイト

<知る人ぞ知る 掘り出し物>
サラの鍵
ラースと、その彼女
君が生きた証
主人公は僕だった
タクシー運転手

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2019年3月28日 (木)

BD『ディア・ハンター 4Kデジタル修復版 スペシャル・エディション』

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 このブログで書くのは何と5回目(仏盤BD 仏盤BDの謎 国内盤BD 米国盤BD)という、ここまでさんざん振り回されてきた本作のパッケージ化で最後の最後にようやく出た決定版。2018年12月にリバイバル公開(劇場鑑賞は初だった。圧倒された!)されたものが素材となっており、過去リリースされたものとは色表現の豊かさが全然違っている。音域はかなりナロウな印象だが、公開年代を考えると致し方がなく、映像も音も現状で考えられる最良のものとなっていると言える。特典映像は過去の国内盤のものに加えて新規の物があるが、米国盤収録の物はなし。また残念ながら英語字幕の収録はなかったし、UHDも出せよーというのは贅沢な注文かも。しかしながら、いわゆるPALマスター問題も解消、日本語字幕も新規製作されて問題も解消。新規購入の方はもちろん、過去のリリース盤を持っている方も充分に買い換えの価値はある。

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2018年9月 2日 (日)

川崎市市民ミュージアムをめぐるニュースで

 川崎市市民ミュージアムがちょっと大変なことになっている。風のうわさでちらっと聞いたのが去年。またネットでそういう状況を発信されていたのをみたのも去年。そして今回のニュースである。

 川崎市市民ミュージアム(川崎市中原区)の指定管理者「アクティオ」(東京都目黒区)と有期雇用契約を結んでいた元副館長の浜崎好治さん(57)が、契約更新されずに雇い止めされたのは労働契約法に反して無効だとして、同社に従業員としての地位確認などを求める訴訟を30日、横浜地裁川崎支部に起こした。(2018年8月30日 神奈川新聞より)

直接的には雇用についての問題ととらえるべきニュースである。ただ今回のニュースにはいくつかの問題が混ざってしまっているので、そこを整理して切り分けて考えていきたい。

○指定管理制度は市民ミュージアムのような文化施設にマッチしているのか。
 これはどう考えても×である。根本的な解決にならない上に新たな問題が起きる可能性の方が大きい。ウィキペディアによれば、「利用時間の延長など施設運営面でのサービス向上による利用者の利便性の向上」や「管理運営経費の削減による、施設を所有する地方公共団体の負担の軽減」が意義として書かれているが、現状の問題点として以下のようなことも併記してある。そのうち、今回の件で該当しそうな部分は、人事と運営に関する部分だが、これが見事に当てはまっている。

・制度導入の真の狙いが運営費用と職員数の削減にあることから、行政改革の面だけが過剰に着目される。
・指定期間の満了後も同じ団体が管理者として継続して指定を受けられる保証は無く、選考に漏れるなどによって管理者が変更した場合は殆どの職員が入れ替わってしまうことも考えられる。また、指定期間が3~5年程度と短期間であれば正規職員を雇用して配置することが困難となるなど人材育成は極めて難しくなり、職員自身にも公共施設職員としての自覚や専門性が身につかない。
・指定期間の短さは人材育成と同時に設備投資や運営面での長期的計画も阻んでいる。特に教育・娯楽関連の施設では経費節減のために「場当たり的な運営」しか出来なくなることで集客力が減少し、それに伴う収益の減少によって必要経費も充分捻出できなくなり、結果として更に客足が遠のくといった悪循環に陥る可能性が高い。
・一般の職員が地方公務員扱いとならないので、地方公務員法による服務規定等が課せられず、また問題が発生しても同法による懲戒処分の対象とならない。
・地方公共団体に属する行政機関以外による運営が行われる事になる事から、(地方独立行政法人や地方公営企業と異なり)情報公開条例及び個人情報保護条例等の制度適用対象とならず、この事によっての情報公開及び個人情報開示等に関する問題が発生する事がある。(ウィキペディア「指定管理者」より)

 はやい話、収益を目的にやっていくのであれば、短期の派遣だけでまわしていけばよい、という民間の発想をそのまま、こういう施設に放り込もうということである。大間違いである。(そもそも市民ミュージアムは利益を出すための施設なのか、というところがまず引っかかってくるところなのだが、この点は後述)こういう施設には経験と知識が豊富な人材が必要であり、研究者としての側面を職員に求めるのであれば、なおさらその面が強調されるであろう。その点での人材育成が短期的な利益を生み出すわけがないのだ。ただ誤解を得ないようにしておくが、長期的な視点からは利益を生み出す可能性はゼロではない。そこから信頼を得て、利用者が増え、新たな価値が付加されることも往々にしてあるからだ。

○市民ミュージアムは利益を出すための施設なのか。
 これは×な上に、現状では無理、という結論でよいと思う。市民として、映画ファンとして、よく運営できるなあと心配するぐらいに、本当にお客さんがガラガラだったのは事実だ。そもそも市民ミュージアムは実に中途半端な存在として、30年間川崎市に存在し続けている。ここの特徴として漫画や写真、映像資料の収集に力を入れていることだ。収蔵品は約20万点に上り、常設展・特別展と共に、映像ホールが併設されている。そういう意味では実にまっとうな博物館である。 実際私も自分のサイトのために取材でお邪魔したことが2回ある。とても興味深かった展示だったし、映像上映もおもしろかった。

 ではなぜ中途半端かというと、歴史や美術など、すでに知名度や金銭的価値が定まってきている分野ではなく、そもそも歴史が浅く文化的価値が伝わりにくい漫画や写真、映像資料が柱になっているという点があげられる。この面でわかりすい例として川崎市内の他の施設を並べてみるとわかる。川崎市の博物館の最大の成功例は「藤子・F・不二雄ミュージアム」であろう。説明や分析が不要なぐらい来館者数が多いことは理解してもらえると思う。他にも「岡本太郎美術館」や「日本民家園」「かわさき宙(そら)と緑の科学館」などがあるが、これらの施設はわりと何がウリなのかがわかりやすい上に、その吸引力も強めだ。市民ミュージアムにはそれが少ない。私のような映画ファンだと映像ホールの価値を力説する。安いし魅力的な作品をたくさん上映している。ただここの上映作品すべてに吸引力があるかというと違う。玉石混淆な上、わかる人にはわかる、という専門的な作品も多い。(近隣在住の映画ファンであるこの私ですら足を運ぼうというのは年に2回程度だ)第二の「藤子・F・不二雄ミュージアム」を目指したくなる気持ちは分かる。でも成り立ちが違うのだから、そう簡単にいくわけがない。

 最大の問題点は立地だ。最寄り駅がタワマン林立と、それに伴う通勤ラッシュ地獄で知名度がさらにあがった武蔵小杉だし、等々力緑地にはフロンターレのホームグラウンド「等々力陸上競技場」や「とどろきアリーナ」などがある。ただフタをあけると本当にアクセスはよくない。まず小杉から徒歩で行くと30分はかかる。30分ですよ30分。余談だが、このブログの方の力説はその通りです。じゃあ何で行くかとなるとバスなのだが、このバスが微妙に面倒なのだ。バス自体は川崎駅と武蔵小杉駅からの市民ミュージアム行きがある。(ただJRのアクセスとバス自体の時間を考えると川崎駅から乗るメリットがわかならい)。本数も多めだ。しかしこのバスはそこに行く以外に何もない。つまり付加価値が全くないため、他の目的を兼ねて利用する人がほとんどいない。実は前述した「藤子・F・不二雄ミュージアム」「岡本太郎美術館」「日本民家園」「かわさき宙(そら)と緑の科学館」も交通アクセスも徒歩は微妙な位置にあるが、ただ地理的にほぼ固まっているといってよい(特にうしろ3つは生田緑地内)。市民ミュージアムはそういう相乗効果を生みそうなところがない。そして近隣住民の足を向かわせるような内容でもない。これでは利益がでるわけがないのだ。

 では最初の問いに戻る。市民ミュージアムは利益を出すための施設なのか。言い換えると漫画や写真、映像資料の収集に文化的価値がないのか。これは×だ。むしろそういう施設が少ないだけに価値はあるし、短期的な利益は出さなくても、長期的な視点では利益が出る可能性は大いにある。フランスのシネマテークはアンリ・ラングロワという人物が私費を投じたコレクションがそもそものスタートだ。もちろん営利目的などではない。映画は誕生してからまだ100年ほどの比較的若い文化である。その当時文化的価値が定まっていなかった映画というメディアをラングロアのような個性的な人物、もっといえば奇人変人とよばれても仕方がないかもしれない人物の行動によって、そしてそれを後にフランス政府が金銭的にバックアップをするようになる。こうして世界でも有数のフィルムアーカイブは誕生した。この背景をきちんとふまえれば、市民ミュージアムに指定管理制度を導入することがおかしいということがわかるだろう。

 ここで考える材料となるのは佐賀県の武雄市図書館の話である。指定管理者としてTSUTAYAの経営母体であるCCCが関わることになったので、ちょっとした騒ぎになったところである。私たちがあのニュースを聞いたときに感じた気持ち悪さは、書店と図書館という本を扱うという共通点だけで目的自体は全く違う業態が共存できるわけはないという点に集約できる。運営開始から5年たったが、事実だけ羅列すると利用者は増えた、満足度も高い、そして経常利益としては赤字は毎年出ていて解消されていない、ということ。

全体の「満足の内容」(複数回答)は「年中無休」が57・6%で最も多く、「居心地よい」42・4%、「夜9時まで開館」40・6%、「スターバックス併設」36・5%、「飲み物が飲める」31・0%が続いた。「販売用の本が読める」「豊富な雑誌、書籍が購入できる」の声も多く、コーヒー店や書店の併設効果が満足度に表れている。(2017年8月 佐賀新聞)

 ここで興味深いのはどの点で満足しているかの内容が、それは民営ではなくても、ちゃんとやれば公営でもできそうなところが並んでいる部分だ。つまり蔵書の充実、開館時間の利便性、そして清潔な設備(カフェなどにいたっては隣接して存在すれば同様の効果があるわけだし)。これを利益が出ない中でやっているわけだから、民営でないとできないと結論づけることにためらいを感じる。ヒントはあるだろうし、真似するとよいところはある。けれどそれは図書館本来の役割を阻害し、運営の効率化や利益の出る仕組みにはつながらないということだ。

ウィキペディア「指定管理者制度」で記してある問題点に
・医療・教育・文化など、本来なら行政が直接その公的責任を負わなければならない施設までもが制度の対象となっている。
とある。そもそも図書館は儲かる場所ではないし、赤字だから図書館を潰せという論理は乱暴だ。私が税金を納めている理由は、税金が図書館運営のような公的サービスに使われているからであるし、公的サービスは利益の追求とは別次元のもので必要性があるものに存在すべきである。この点は市民ミュージアムもまったく同じだ。

浜崎さんによると、同社が示した賃金条件は財団時代に比べて7割減となる内容。指定管理者制度の導入に伴い、同社に移った学芸員は16人中9人にとどまった。その後も離職は続き、本年度に入ってからは館長、学芸部門長も退職する異例の事態となった。(2018年8月30日 神奈川新聞より)

公的サービスに「利益」を求めるとこうなるのは至極当然である。そしてこれは憂慮すべき事態である。

 ただ。
 私は今までの市民ミュージアムの運営が全面的に問題がなかったとは思っていない。やはり運営上の問題はあった、やり方に改善点は多かったのではないかと考える。実際利用者が増えるための工夫は足りなかったと思うし、必要なお金はかけられていなかったと思う。
 まず常設展のつまらなさ。これもまたどっちつかずの中途半端さなのである。ここは地域の歴史についての展示もあるのだが、同じ県内の横浜市歴史博物館の素晴らしさと比較するとスペースは狭く、あまり工夫は感じられない。できればスペースをひろげるか、歴史は別の施設で行った方がよい気がする。そして映像や写真、漫画関係の展示の充実をはかる。国立映画アーカイブというお手本もあるのだから、やり方はいろいろあるのではないか。
 でも個人的に一番の提言は映像ホールの運営に関してである。実は川崎市には川崎市アートセンターという芸術文化施設が新百合ヶ丘(駅から徒歩3分、周辺には商業施設もあり立地も素晴らしい)にあり、ここがまたとてもよい施設である。100席ちょっとの映像ホール(アルテリオ映像館)があるが、ミニシアター的な、もしくは名画座的なラインナップで連日実に多様な作品を上映してくれている。これに対し、市民ミュージアムは270名ほどの立派な映像ホールを土・日にそれぞれ2回ずつしか上映しない(価格は安いけれど)。これが30年近くずっとそうだったのだからビックリである。諸事情抜きの提案だがこの映像ホールに加えて、もう1つ館内に100席程度のホールを作る。2館態勢で連日上映する。名画座的な性質と、2番館的な性質と、アーカイブ作品の公開的な性質が、共存できるはずである。そもそも川崎市は現在駅前がシネコン天国のようになっているが、実は名画座的な性質を持つ所やミニシアター系の性質を持つところがかなり少ない。余談だが「午前十時の映画祭」の上映は県内だと海老名や横浜はあるのだが川崎にはなく東京23区内か、立川か、鴨居まで出るしかない。だからそういう方面に興味がある方への供給はほとんどない。編成次第では大きな柱となれると考えるし、アーカイブ同士でのつながりができてくると、また違ってくるような気がする。需要は絶対にある。近所の家族連れ、学生さん、年配の方が足を運べるところになれば、

・地元の人が繰り返し利用したくなる
・遠方から足を運びたくなる
・ついでに立ち寄ったり、何かで利用して、そこからまた利用しようかなと思える
になってくると思う。
このあたりの視点は市民ミュージアムは明らかに欠けていたと思う。そこに民の知恵を導入できるのであれば、新しいコラボレーションの形ができたと思う(それができていたのであればの話だが)。実際ローカルなネタで行くと、武蔵小杉駅と直結している東急スクエアに移設した中原図書館は新規登録者が大幅に増えた。立地もあったが開館時間が大きく延長(夜9時まで)されたことも大きい、という。

 私は以前、短い期間だが民間企業にいた。そして現在は公的な機関で働いている。公と民の違いは何ですかと聞かれると、大きなポイントは2つある。ひとつは現場で予算に関する決定権がほとんどないということ。もうひとつは自分自身の利益のためだけではなく、市民などの依頼者のことを第一に考えて仕事をしている、ということだ。実際市民ミュージアムも、今までやりたくてもできなかったことはたくさんあったと思うし、今回関わった指定管理者も、いろいろと思いがあったとは思う。ただ私は市の責任が一番大きいと思う。

市市民文化局は「雇用関係は当事者間で解決されるべきものと認識しており、推移を見守る」とコメントした。(2018年8月30日 神奈川新聞より)

 他人事である。とにかくビジョンがない。そして一貫した姿勢もないからずるずると30年近くも慣例で来てしまった。その上での今回の出来事だととらえるべきだし、市民ミュージアムに指定管理者を選定した時点で、その程度の捉え方をしていたと露わになったと考えるべきだ。アートセンターと統合してもよいかもしれない。文化的活動を高めるためならきちんと予算をつけて、市民サービスにもつながる施設に育ててほしい。そしてこの施設を愛し、誇れる場所にしてほしい。私は川崎市はそういう活動に理解を示してほしいし、それが長い目でみれば本当の利益となるのではないか。単純に儲けたいなら市民ミュージアムは閉館してよい。

 川崎市が市民ミュージアムをどんな施設にして、どんな価値を高めていきたいのか。きちんと考えてほしい。

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2018年7月19日 (木)

「夏への扉を、もう一度『1999年の夏休み』30周年音楽会」

2018719a  「夏への扉を、もう一度『1999年の夏休み』30周年音楽会」というイベントに足を運んできました。私がいかにこの作品を好きかは昨日のブログを読んでいただきたいのですが、今夏デジタルリマスター版として上映される本作の魅力の1つが、中村由利子さんの音楽です。この映画で中村さんを知ってから、自分の部屋や、仕事場や、端末から、中村さんの音楽は流れ続け、ずっと身近にあったことは間違いはありません。その中村さんの演奏を、しかも『1999年の夏休み』がメインで、生で聴けるなんて! 絶対に足を運ばなくては!!となった次第です。当日は映画&海外ドラマライターとして活躍されている小原雅志さんとも再会。どんな感じのイベントになるのか結構不安だったので小原さんに会えて一安心でした(汗)。

 イベントがスタートして、何度もみている冒頭のシーンがはじまります。そこに中村さんの「哀しみのラプソディー」が生演奏で重なります。もうそこで涙腺決壊(汗)。生で聴けたという事実もそうですが、何よりそのメロディが持つ力が、最初にこの曲を聴いたときの感激のように、あらためて自分の心をふわっと包みこまれたように思えたのです。もうそこからはイベント中、ずっと夢心地。ずっとずっと身近に流れていたあの曲も、即興で演奏された曲も、金子監督の他の作品の曲も。どれもこれも宝石のように輝いていて、でも今日のそれらの演奏は聴き終えたらそこから消えて自分の心にしか残らないことが切なくて。

金子監督は別の作品の舞台挨拶を拝見したことがありましたが、同じような語り口でありながら、やはりお年を召されたなあと自らも振り返って、30年の月日を感じました。トーク中にハインラインの「夏への扉」の話が出てきたのは嬉しかったですね。宮島さんは本当に大人の女性として年齢を重ねられていてステキでした。吹替生ボイス! 画面見ないでやるなんて大変なのに、と思いながらこれは海外ドラマをみている身としては感激でしたよ。

そして「ウェイティング・フォー・ブロッサムズ」の演奏がはじまって。ああ、これが流れるとまた現実に戻るんだなあと、ここでまた涙ぐんでしまいました。

終演後、CDが即売されていたので、滅多には発動しないミーハーモードを全開してしまいました!(汗)。持参した「風の鏡」のCDにまでサインをいただいてしまいました。20180719c20180719d

 さらには金子監督にまでお願いして、持参したロードショー公開時のパンフレットにサインをいただいてしまいました。もう大感激です。

若い頃にみた作品にこうやってあらためて触れるという場面は、自分の年齢もあって機会としては増えた気がします。しかしこのイベントはやはり特別でした。それはやっぱりメインに音楽があったからではないかと思います。中村さんのピアノで、自分はあらためて魔法にかけられて、あの『1999年の夏休み』の世界にふっとひこまれてしまったように思いました。またこのイベントは多くの関係者の方々、そしてファンや有志の方々の支えで、実現したのではないかと察しました。感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

さあ、いよいよデジタルリマスター版の再公開ですね!

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